2009年6月21日日曜日

「生き物調べ」番外編-藤原は気候変動の最前線!?


6月20日~21日,今年度第3回講座「コモンズ村・ふじわら-生き物調べと寺山峠のフットパス地図づくり」を開催。全国草原再生ネットワーク「総会」にあわせて地元や役場の皆さんとの「交流会」を併催したので、延べ参加者85人におよぶ賑やかな集いとなった。
人の賑わいもさることながら、「人と生き物が入り会うコモンズ村・ふじわら」を標榜する我々にとって嬉しかったのは、日ごろ見かけない生き物たちにも出会えたこと。クマタカ、アカショウビン、ノスリにヤブサメなどの鳥類。ネットワークの皆さんをご案内した師入では今年もサンショウウオに会えたし、古道・青木沢峠の道中では、ヤマアカガエル、ギンリョウソウ、イチヤクソウに、エゾハルゼミの大合唱のなかカモシカ君も出迎えてくれた。

サンショウウオの子ども

エゾハルゼミの脱け殻
峠の頂(標高887m)で十二神様(じゅうにさま=山神)にご挨拶、尾根筋に展開する美しいブナ林で一服。ブナ林からカラマツ、スギの人工林に変わる坂道を足取りも軽く下る。そこまでは順調だったのだが、青木沢集落に間もなくというところで異変が相次いだ。なんと、庚申塔の胴体部分が台座を残して、道端に転げ落ちていたのだ。5月に来た時には、ちゃんと座っておられたのに。隠れ切支丹伝説のある石塔だが、人間業とは思えず、犯人はサルかクマかという事になったが疑問を残したまま下山。
そこで又、次なる異変に気づかされた。一行11人中4人もがヤマビルにやられていたのだ(吸血中)。
「これまでは出ていなかったのですが、とうとうここまで来てしまいましたか」と地元ガイドの吉野一幸さん。5月にこの峠道を歩いたときに、イノシシのぬたばをいくつも見たことを思い出した。豪雪地帯の藤原には住めないはずのイノシシが出没し始めたのは3年前からのこと。そういえば、今年も雪が少なくて野焼きの日程が1週間前倒しになった。地元の篤農家・林幸夫さんにお尋ねしたところ、峠の麓・師入田んぼの最高積雪記録は09年・130cm、08年・160cm、07年・60cm、06年・240cm、05年・210cm。イノシシが出没し始めた3年前から雪が激減してきている。サルは随分以前から集落内を闊歩している。とすると短絡的かもしれないが、ヒルを運んできたのはイノシシということになる。
サンショウウオにヒルの組み合わせ。これって、ゆたかな生態系? 違うよね。 雪が少なくなる事によって、地域固有の生態系が変わりつつある兆し。さすれば、上ノ原は生物多様性のホットスポット、藤原集落は気候変動の最前線ということになろうか!?
09.6.28清水(記)

2009年6月17日水曜日

芦ノ田越え古道橋完成!

6月17日についに芦ノ田越え古道の橋が完成しました。全長18mあまり、鉄パイプの手すりと足場板も取り付けられ、誰でも安心して渡れるようになりました。


また、古道の入り口には手作りの道標も立てられました。


2009年6月11日木曜日

奥日光の森を歩いて感じたこと

―痛々しい日光の自然!―

6月7日から2泊3日、湯の湖畔の休暇村(標高1486m)を拠点に奥日光の自然散策を楽しんできた。かねて念願の東大植物園(植栽2200種)を皮切りに戦場ヶ原、小田代原、西ノ湖から千住ケ浜、湯ノ湖から湯滝、お魚と森の観察園など、文字通り森あり川あり滝あり湿原ありの変化に富む自然のモザイクを観察させてもらった。
観光客に一番人気のクリンソウ(写真)はもとより、清楚なシロヤシオツツジや可憐なマイヅルソウたちにも出会えた。そして、何よりもハルニレやシウリザクラ、ヤチダモ、ドロノキなど日頃見られない樹種の森を歩くことが出来て嬉しかった。

でも途中から、ちょっと待てよと思わざるをえない光景に次々出会ってしまった。クリンソウの群生地は全てネットで囲われていたし、ハルニレやシウリザクラ、ヤチダモたちの根元も黒い網が巻かれていた(写真)。みんな悪名高い(?)シカの好物で、その食害対策だという。『保護林』の看板が立っている林内では特に目立った。どの森の看板にも「森の取り扱いは、人手を加えず自然の推移にゆだねていくことを原則にしている」とあった。人の手でネットを巻くことは、この原則に反しないのか。こうまでしないと保護できないのか。足元をネットで巻かれた樹々を見て、痛々しいと思わざるを得なかった。

そういえば、湯ノ湖西岸の遊歩道を歩いたとき幾筋もの獣道を見た。夜、水飲みに森と岸辺を往復するシカたちの通勤路(写真)がそれこそ縦横無尽に走っていた。
増えすぎた(と、人が考える)シカやサル、イノシシたちとどうしたら共生できるのか。

昨春、山形県高畠町で草木塔を見てきた。この5月、北海道黒松内町には獣魂碑があった。そして今回、日光では魚供養塔に出会った。いつ建立されたかは別にして、狩猟採集時代の昔から続く自然の恵みに対する感謝の気持ちに由来するものであろう。
フランスにはジビエという野獣料理があるそうだ。ただ駆除するだけでなく、感謝の心をもって有効に活用する。そんな方途はないものなのか・・・、など愚考した次第。


清水(09.6.11)記

2009年6月3日水曜日

黒松内町「北限のブナ林とフットパス」視察記

-ここにもいた環境キーパーソンとその後継者たち-

5月29日~31日、森林文化協会主催の野外セミナーに参加。3日間で、天然記念物のブナ林と変化に富んだ3本のフットパスを歩くこと約25㌔。地元の名ガイドに導かれ、11人の旅仲間とそれより多い町役場や町民ボランティアスタッフの大歓待をうけながらの楽しい学びの旅だった。それは、何もなかった寒村の「自然を生かした町おこし」20年の歴史を学ぶ旅でもあった。
ない物ねだりをしないで知恵を絞って生まれた「ブナ北限の里づくり」構想~歌才自然の家~ブナセンター~特産物加工センター~フットパスづくり~「にほんの里100選」入選。一貫した町興し施策が積み重ねられ、今や人口3千人の田舎町に年間15万人の観光客が訪れる。
成功の要因はいろいろあるだろう。たった3日間の見聞の範囲内で理解不足を承知で言えば、複数の環境キーパーソンの存在とその後継者の存在が大きかったのではないか。
初日歩いたチョポシナイ・コースのボランテイア案内人の中に前町長の谷口さんが混じっていた。その夜の地元歓迎会のホストで現町長の若見さんはかつての部下。2日間手弁当でお付き合いいただいた町のフットパスボランティア・リーダーの新川幸夫さんと町役場企画調整課でこの分野の仕事を黙々こなしている雅幸さんは親子。北海道はもとより日本のフットパス運動の第一人者小川巌さんとそのお手伝いをしながら自然体験エコツアーに取組んでいるご子息の浩一郎さん。もっと他にも、たくさんの人の輪の繋がりがあったことであろう。

フットパスづくりは道と道、集落と集落を繋ぐだけではなく、世代や出身地、職業、居住地域を超えた人と人の繋がりをつくり、襷を繋いでいくことでもあった。
我々森林塾青水は今年いよいよ、再生なった3本の峠道のフットパス地図づくりに取組む。どんな地図をどんな風につくるべきか。大いに参考になり、具体的イメージも湧いてきた。だが問題は、将来にわたって継続し活用していくべきキーパーソンとその後継者づくりではないか・・・。 清水、記