2018年5月31日木曜日

ミズナラ林の若返り伐採のための搬出路(歩道)作設ー新緑の香りの中でー


野焼きから約一ヶ月、上ノ原は、大勢のワラビ狩りで賑わっていた。
野焼き後1ヶ月ススキもワラビも順調に成長

この時季の上ノ原は朝日岳を背景にしたタニウツギの花が美しい

 
 52627日、参加者14名による今年度2回目の活動は、ミズナラ林の伐採のための搬出路(歩道)の作設である。
 この時期の上ノ原のミズナラ林は、見た目には生き生きしているようだが、それは落葉した冬枯れの状態に比較するからで実は芽吹きと開花の疲れでエネルギーを使い切って疲労困憊の「青息吐息」状態である。むしろ秋や冬の樹木の方がエネルギーが充満している。これから夏の太陽を浴びて光合成を活発に行う。新葉を害虫などから守るためフィトンチッドを揮発する「桃色吐息」の時季はこれから、それでも森に入るとすがすがしさを感じるのは成長を控えた木々の生気に抱かれるからだろう。だから、この時季は伐採の適期ではない、特に「ぼう芽更新」には不適である。そのこともあって今回は伐採を最小限にすべく北山塾頭と相談して搬出や散策のための歩道作設を主体とした。

 1日目は、十郎太沢の「柞(ははそ)の泉」から木馬道へ抜ける時に直登していた箇所の歩行の邪魔になる木を伐採し、階段や迂回路作って歩きやすくする。途中でみなかみ町からの初参加のKさんと家族ともども藤原に移住した米国人のFさんが合流。Kさんは自伐林業をやりたいとのこと。Fさんは自然と人との共生を研究していて藤原で「森のようちえん」を開園することになっている。下手な英語より日本語が通じるamazingな米国人である。
 
さわやかな森の香りの中で
 

 ここの歩道の補修作業は木馬道に到達し15時ごろに終了、木馬道は2年間かけて作った道であり木馬が滑走した時の「50年前の初恋が成就したような」感動が蘇ってきた。それにしても道が荒れている、雪の影響もあるが人が作ったものは使ってメンテナンスしないとすぐにだめになる。世の中には作るだけ作って使われず手入れもしないものが多すぎないか、反省!! 上ノ原を眺めてここはそうさせないと心に誓う。
木馬道に到達
 
上ノ原は守る!!
 
 

 そのあと、北山さんが自伐林業の木材搬出のために作設した作業路兼遊歩道を散策する。幅3mぐらいで勾配もゆるく壊れにくい立派な作業道が循環道になっていた。短い期間でここまできちんと作った彼の奮闘に頭が下がる。この道も有効に使わなければならない。この作業道のある森林は比較的大きな木でブナ、トチノキ、ホウノキ、オオヤマザクラ、キワダ、ミズナラなど種類も多い、散策にはうってつけである。上ノ原にもう一つのタカラができた。帰り道、この付近に多いオオバクロモジの葉を採取して宿に帰る。

この日の宿は奈倉、夕食が済んで一杯やっていると北山さんが蒸留器を持参してやってきた。車座実践講座「クロモジ精油の作り方」を始める。蒸留器にクロモジの葉を入れ蒸し、その蒸気を冷やして精油を抽出したのがアロマウオータである。その間にクロモジの葉を煎じてクロモジ茶を作る、アロマティである。蒸留器からうっとりするような香りが漂う。お茶も味も香りもexcellent作り方も外と簡単、これなら商品化も可能ではないだろうか。
Fさんは車座講座に家族ともども参加
 
蒸留器にクロモジの葉を入れて蒸す
 

2日目は、十郎太沢から北側への歩道の修理を行い約半分が完成し歩きやすい道となった。続きは9月になる。10月の麗澤中のFWに間に合うだろう。
森の中は清々しい
 
 
昼の森の薫り、夜の香り、で癒された心地よい2日間だった。

                             草野記

2018年5月25日金曜日

麗澤中学校 樹木観察会2018



5月19日、柏市の麗澤中学校1年生を対象とした樹木観察会が行われました。森林塾青水はそのコーディネート、インストラクターとして協力をしています。
心配していた天気もなんとかもち、例年通り外で実施できてひと安心。

最初に先生、生徒、インストラクター全員が広場に集合して、挨拶と今日の説明を行います。生徒たちの顔が見える最初の時間、どんな子たちなんだろう、と毎年楽しみです。
樹木や自然について観察し学ぶことはもちろんですが、五感を使って自分でみつけたこと、気づいたこと、考えたことを大事にしてほしい。人と違っていたり、間違っていたりしてもいい。それが観察会の趣旨です。



グループに分かれて観察を始めると、こちらが探すまでもなく、生徒がいろいろなものを見つけてくれます。人気なのは虫で、最初はやだー!!という反応をする子も多いですがやはり動くので多くの子が興味を引かれます。
まだ小学校を卒業したばかりの子たちですが、生徒が見つけたものから話を始めて少しずつ説明すると、すっと聞いてくれます。(でも、新しい虫が見つかると話が中断されたりします)
種の飛ばし方、成長の仕方、花と虫の関係、土のはたらきなど、大事なことを少しだけ話して、観察してもらいます。

2時間ほどの観察を通して少しは自然に親しんでもらえたのかなと思います。
最初は腐葉土のある木立の中に入ることすらためらっていた子が、最後の方には腐った木を拾って虫を眺めていたのが印象的でした。
拾ったダンゴムシをずっと手に乗せている子もいました。

最後には教室に戻ってまとめを行います。拾ってきた葉っぱや種などを使って、色とりどりの発表原稿を作っていました。生徒ごと、グループごとに着眼点が違うのが面白いなと思います。


例年楽しみにしている生徒も多いというこの観察会、少しでもいいものにできていたら嬉しいです。感想の紙を書いてもらったので読むのが楽しみです。





2018年5月7日月曜日

車座講座 「火の文化と古代発火法」  講師 関根秀樹さん


 野焼の初日、夕食後、本年度最初の「車座講座」が吉野屋の大広間で開催されました。講師は古代技術史・民族文化研究家である和光大学の関根秀樹さん。「火の文化と古代発火法」について、関根さんが再現した古代の発火具を実際に使いながらの楽しい講座となりました。野焼きを安全に、そして効果的に実施するには火の扱い方が大きな課題ですが、火の文化について、その根源を学習する有意義な機会ともなりました。講座の概要は以下の通りです。
車座講座 関根先生
 

○古代発火具の概要

キリモミ(錐揉み)式などの古代の発火具の形状や材質、使用法は、関根さんの師である科学・技術史研究者の岩城正夫氏が、実験を積み重ねながら復元・再発見し確立したものである。

古式の発火方法を継承しているとされる伊勢神宮や出雲大社が神事の中で行っている火鑽り(ひきり)は、儀式として相応しい形に道具が大型化し、アレンジされたものである。特に伊勢神宮のマイギリ(舞錐)は弥生時代からのものと言われたりするが、実際には江戸時代後期に伊勢ソロバンの穴開けに使用していた舞錐を転用したものである。戦後、登呂遺跡から火鑽臼が出土し、別の所から出た舞錐の横木の一部に似た形の木片が見つかった際、伊勢神宮の舞錐と同じ発火具が登呂遺跡で使われていたという解釈が、反論があったにも拘わらずメディアにも取り上げられて独り歩きしてしまったのである。

○実演を交えながら

キリモミ式で火種ができるまでの世界記録は、私と、学生時代の同級生が持っている3秒である。摩擦式発火法の要点は道具そのものにある。道具の大きさや材質、その形状と加工法に緻密な工夫がなされており、これらの条件を満たす発火具であれば誰でも火を起こすことができる。「電気もガスもない昔は、火を起こすのも大変だった」というのは、現代人の勝手な固定観念にすぎない。

参加者も挑戦

○火の神話

古代の発火法は日本の神話にも反映されている。イザナミは最後に火の神カグツチを生んだことにより火傷で死んでしまうが、これは摩擦式発火具の記憶とともに、利便性と危険性をあわせ持つ火の二面性を表現している。

○山火事の原因は失火と落雷

山火事の原因として、「木と木が風で擦り合わさって火が起き火事になることがある」という人がいるが、特に湿度の高い日本では、これで火がつくことは絶対にない。昔、宮城県のゴルフ場で、ゴルファーが誤ってアイアンで草むらの石をたたき、火打石のように火花が出て枯芝に点火し、火事になったことはある。

関根さんは古代の発火具だけでなく、ブリキ缶二つを糸電話のように長いばねで結んだ不思議な楽器アナラボス、

 
不思議な音を出すアナラボス
 
回転させながら紐をもって振り回し風を切るような音を出すウナリ木、そして竹トンボなど、関根さん自作の楽器や遊具も準備いただき、それを実際に使っての楽しいひと時となりました。また、関根さんはブルース・リーより速い、と言われたヌンチャクの名手です。実際に演じている姿は、「ぴよぴよヌンチャク」で検索してユーチューブでご覧ください。(文責 稲)

2018年5月5日土曜日

2018野焼き実施報告 -雪山の助けがなくても人のチカラと縞焼の技術で克服-           


今年の奥利根藤原の冬は年末に記録的な積雪があったものの、その後降雪は少なく、春の訪れが早く季節が急速に進んだことから野焼きを予定した4月下旬の上ノ原の茅場は雪のかけらもない状態となった。

 昨年は、残雪が多すぎで除雪に難儀し面積も少なく気温が低く乾きが悪かったためススキの掻き起こしで何とか野焼きが出来た。そしてその前の2016年はやはり積雪が少なく今年と同じ状態であった。その時、村の古老(故人)が言った次の言葉が印象的だった。「おいら84生きているがこんな雪のない年ははじめてだ、おそらく100ぶり?ぐらいじゃなかっぺか」それからわずか2年してこの状況・・・。ご存命だったらどんな顔されただろう。それほど気候変動が激しいと言うことだろう。気候など自然が通常の状態でなければ人間生活に大きな影響を与えることになる。その分人間がチカラと知恵(技術)で克服しなければならない。今回の野焼きはそれを痛感させられた。無事に実施できた嬉しさと記録の意味を込めてブログは長文です。

428日、晴天の中、オオヤマザクラやハナモモが一度に咲いて春真っ盛りの一番いい季節に藤原入りした8名(うち1人は小生の孫、草原デビュー)と北山塾頭は、上ノ原は雪がなく、乾燥も激しいことを目のあたりにして今年の野焼きは万全の準備が必要であると自分に言い聞かせる。
オオヤマザクラ花盛り
まずは、野焼き予定地としているBブロックを踏査して、周囲常設防火帯に加えて仮設防火帯が必要であること、防火帯の可燃物のかき寄せを念入りに行うことを確認した。
本番は、Bブロック(約3ha)を仮設防火帯で4つに分割して行うことにした。面積は推定であるが①が0.7ha、②が0.9ha ③が0.5ha ④が0.3haである。

 早速、常設防火帯と仮設防火帯の設置場所を孫に手伝ってもらいながら表示して刈払機で刈り払いをする。刈ったあとは防火帯内の可燃物を焼却面に掻き込み、出来るだけ土を露出させる作業をしてもらう。その間、看板設置、作業指示、各種準備などで草原を飛び回る。その歩数、15,000歩(10km)。
草原を歩き回り区域標示
仮設防火帯の設置

 この日の作業は、翌日の参加者分を残して終了。

 イベント初日、この日も晴天、気温が高く、湿度が低い、風もあって不安が先に立つ。

参加者を待つ間、藤岡さん、駒井さん、孫は「遊棒(あそぼう)パン」焼きのパン生地づくり、他の方は、防火帯の刈り払いの手直し、レーキで可燃物掻き込み作業を行う。
パン生地つくり

 今回の野焼きの参加者は43名、役場、消防団、町田工業を含めると総勢55名、見学者が約10名、集合のあと広場の十二様の斎竹と注連縄の前で山ノ口開き神事を執り行ない、一年間の作業の無事と収穫を祈願する。
山之口開き神事

 はじまりの式では、このような異常気象の下では参加者のチカラと知恵で安全な野焼きを行うべく全面協力をお願いし、スケジュールや作業手順、注意事項を書いた木製ボード「きえすぎくん」の前で説明、きえすぎくんは無垢の木材に特殊塗装したもので書いて消せるボード。木材利用推進のエースとして期待される優れものであり参加者の注目を集めていた。
きえすぎくん登場
 
 
参加者に前泊組の指導のもと刈り払い機での防火帯切り、レーキで可燃物掻き寄せを約2時間やってもらうと当初考えていた安全対策に見通しがついた。
 
 
可燃物掻き込み

大人と一緒に少年も

 休憩を兼ねて一旦広場に集まってもらい、本日の「モグモグタイム」の「遊棒パン」焼きである。それぞれ作業中に取ってきた棒にパン生地を撒き、好みに応じて桜の葉、ヨモギ、クルミ、ススキ若芽を生地の中に練り込んで焼く。クロモジの樹脂で練りあげた生地もあってそれぞれ風味が楽しめる嗜好となっている。参加者は炭火の周りを囲みパンを焼きながらお互いの紹介や参加の動機、作業のことなどを話し合っていた。これも「遊棒パン焼き」の効果である。
遊棒パンモグモグタイム

そのあと、430分の「作業止め」の笛を吹くまでの約1時間を、類焼の危険性の高い③の林縁部の防火帯切りと掻き寄せやってもらい、本日の作業を終了。相変わらず日差しが強く、気温も高く、乾燥が激しい。この日の歩数は17,000歩(12km)

宿は、食事とサービスに定評がある「おもてなしの宿」吉野屋さん。今回のもう一つの目玉である食事後の車座講座は「火の文化と古代発火法」である。このことは稲さんが別途ブログに掲載するのでここでは割愛。

さて本番の日、いやになるほどの好天気が不安を掻き立てるが昨日の準備作業とみんなの団結で無事乗り切って見せると決意を新たにする。

上ノ原に着くと、昨日の作業と縞焼き法を結び付けて野焼の手順を「きえすぎくん」に図示して説明し、注意事項を伝える。
着火者を4人に絞り、15袋のジェットシュターを背負う人を西村さんが指名する。その前に、古代式発火法を実演してもらい、世界記録保持者、関根先生の3秒の技で採火して野焼の火種とした。

世界記録保持者の古式着火
 
930分①の区域から着火、乾燥は相変わらずだが幸いに風は山からの微風。
縞焼きは、斜面の上部の防火帯・仮設防火帯の縁から火を点けて防火帯の手前を焼き、防火帯を超えようとする火はジェットシュターで消す。三方の縁をある程度焼いたら下部を横方向に火を点けていき、その上部を一気に焼く、上からの火が燃え下がり、下からの火が燃え上がり、合体して焼き尽くして焼け跡が黒い縞になる。この時注意しなければならないのは横の縁を焼くときの風向きである。風下の方の縁を先にある程度焼き下ってから風上側の縁に火を点けることとジェットシューターの配置である。これを斜面下部方向に繰り返して、一つの区域を焼いたら次の区域に移る。野焼きの間、上空からドローンが撮影している。


縞焼法イメージ

燃え盛る炎に備える


上からの火と下からの
火が合体

縞焼き




②の区域を同じように焼き終わると①と②の黒い斜面に挟まれて仮設防火帯だけが残っている風景が美しい。仮設防火帯をわざと曲線にしたのはこの風景を創りたかったからだ。 
この間、消防団が防火帯に放水してもらい、ジェットシュター隊は、途中で水が足らなくなり何度も補充に斜面を上り下し、相当疲れているようだ。
 ジェットシュター隊の疲労と、風向きが里から山に変わり強くなったこと、残り時を考慮して③に着手した時、④の野焼きは見送ることを決断した。そのあと全体を見回りジェットシューターで残火処理して鎮火宣言は1150分、意外と時間がかかったが3区域2.1haが終了した。
仮設防火帯が機能



終わりの式の最中に③の上部から煙が上がってジェットシューターが慌てて駆けつける一幕もあったが無事に鎮火した。このひの歩数は9,000歩(6km)。

残火が心配だったので北山さんに時間をおいてもう一度見回りをお願いして藤原をあとにしたが1730分ごろ何事もないとの連絡があり胸をなでおろす。

雪のない中での2回目の野焼きで教科書に書いてあるような縞焼きができて今後の雪のないときの野焼きの実施に自信となった。前泊者をはじめ参加者の皆さんの重労働にもかかわらずの奮闘、消防団の皆さんの頼もしいサポート、役場の送迎車の提供などの全面協力、そして津田先生、増井さん、小幡さんの豊富な経験に基づくアドバイスに助けられました。
皆様に心から感謝申し上げます。

 蛇足だが、草原デビューした孫に「また来たいか」と聞いたら「微妙」と返ってきた。初体験の野焼きのインパクトは強烈だったと思うが山歩きと大人中での手伝いで疲れたのだろう。

                             草野記