2010年11月16日火曜日

茅ボッチの引き出しと「山の口終い」


~十二神様に一年の無事と恵みに感謝~
●11月23日~24日、今年最後の講座「コモンズ村・ふじわら」を開催。今回のメイン作業は、地元の皆さんに一番喜ばれる茅ボッチの引き出し。作業に先立って萬枝さんから、ボッチがバラケない結束の仕方をご指導いただいた。縄や紐で結ぶという伝来の技術、山村文化の結晶だ。参加者は、日帰りを含め12名と少なかったが、地元や町田工業の皆さんと力を合わせ、2日間で合計470ボッチ(2,350束)の引き出しを完了。うち、350束は10周年記念「茅刈り講習会・検定会」で刈られたもので、来年の諏訪神社屋根替え用に地元にある町営倉庫に運び込んでもらった。(写真×3枚)


●2日目の昼前、恒例の「山の口終い」行事。稲刈りが終わった田圃から山に戻ってこられた十二神様の前に、一同居住まいを正し、この1年の作業の無事と山の恵みに感謝の気持ちをささげた。参列者はコモンズ参加者、町田工業の皆さん、地元の久、三郎、萬枝、惣一郎、孝一、純一、一幸、實治(氏子総代)、岡野(同左)、英雄(中区長)、統(上区長)の皆さんで総勢24名。地元から11名は過去最高、嬉しいことだった。(写真)

●終了後、焚火の周りで「吉野屋」さんが運んでくれた心づくしのほかほか弁当。そこへ、岡田さんが十郎太沢の水で点てたお茶。実に美味かった! 一同の爽やかな笑顔に癒されながら、来年は「茅の買い取り価格の上乗せ」という環境支払を実現せねば、と心に誓った。(清水記)





茅刈り検定実施報告

詳細報告はホームページからpdfをダウウンロードしてご覧ください。
http://commonf.net/pdf/20101024kayakarikentei.pdf








2010年11月1日月曜日

ヒトは果たして善玉キーストーン種たり得るか

―たかが10年、されど10年。10周年記念フオーラム顛末記―


●当塾10周年記念フオーラムを23日~24日とみなかみ町で開催、無事かつ盛況裡に終了した。2日間にわたり延べ150人をこえる参加者が、奥里山・藤原という暮らしの現 場で生物多様性について考えながら交流、茅刈り技術や山村文化伝承の場を持った。 新たに顔を出してくれた地元のご婦人方や町役場の皆さん、東京から馳せ参じた学生 諸君や家族連れ、そしてお猿さんたちも加わって正に「人と生き物たちが入り会う上ノ原」の賑わいだった。(写真下:茅刈り講習会の様子)



●茅刈講習会・検定会を実施した24日、念願の諏訪神社の茅葺屋根替え工事の今年度分が終了した。今回みんなで刈り取った茅350束(うち、50束は地元ボランテイアの働き)は全量、来年度の屋根替え用に地元に寄贈させてもらった。(写真下:傷みのひどかった表側がきれいになりました)

●翌25日の朝、上ノ原のフイールドには茅ボッチが静かに林立していた。

地元衆と役場関係者そして我々流域市民が入り会って賑やかだった前日までとは打って変わって、聞こえるのは十郎太沢のせせらぎと邯鄲の鳴き音ばかり。山の神・十二神さまも熊さんや蛇大将(地元ではマムシグサのこと)にも静かな日常が戻ったことだろう。(写真下:林立する茅ボッチ)

●同日、お世話になった地元衆とみなかみ町役場関係者へのお礼参りをした。異口同音に「遠路はるばる、しかも若者たちが大勢来てくれて嬉しかった」と感謝のお言葉をいただいた。少子高齢化の極みの限界集落、子供や若者たちの姿に接し歓声を耳にするのが何よりの喜びであったに違いない。

●生態系の多様なつながりの中で要石の役割果たしている種をキーストーン種というらしい。かつて、里山はヒトが適切に利用することによって保たれてきた生態系であった。果たして、現代のヒトは破壊的、侵略的な種としての汚名を晴らすことが出来るのか。たかが10年されど10年といって、かつての入会の叡知を次世代につなぐ「流域コモンズ」形成を宣言した森林塾青水。10年後、ヒトは生き物の世界で外来種と同様の嫌われ者・悪玉になり下がっているのか、それとも善玉キーストーン種として尊敬される誇り高き種たり得るのか。それは、大げさにいえば我々の実践力にかかっている。そんなことを考えさせられた10周年フオーラムであった。(清水)

2010年10月27日水曜日

草原再生フォーラム終了


23日24日にみなかみ町藤原でおこなわれた草原再生フォーラムは無事終了いたしました。
参加者の皆様ありがとうございます。楽しんでいただけましたか。
スタッフ及び行政、地元の関係者の皆様お疲れ様でした。
詳しいお知らせはまた代表の清水が投稿すると思いますので、そちらをご覧ください。
新聞などに掲載された内容がWEBで見れますので、お知らせします。

20101025 上毛新聞
 http://www.raijin.com/news/a/2010/10/25/news03.htm
20101025 朝日新聞群馬版
http://mytown.asahi.com/areanews/gunma/TKY201010250372.html
 
事務局 あさかわ

2010年10月13日水曜日

第三回東京楽習会開催


第三回東京楽習会が、9月26日(日)午前10時より、中央区の「女性センターブーケ21」の研修室で、会員会友他9名が参加して開催されました。この日の講師は、本会の幹事であり、日本大学大学院博士前期課程で生物環境科学を専攻する永野貴裕さんがつとめました。永野さんは現在、関東地方や富士、伊豆方面の草地や草原、茅場の実態調査に取り組んでいますが、楽習会では、「関東地方の野焼きの現状と課題」と題し、これまでの研究成果の一端を披露していただきました。
富士の朝霧高原や伊豆の大室山、稲取、箱根の仙石原、千葉の東金など、立地や行政、観光や住民、市民団体との関わりも様々な中で、現在も定期的に行われている野焼きの現状と課題について、実際のフィールド調査を踏まえた報告を下さいました。参加者からはススキや葦、湿地や乾燥地など、植物や立地の違いによる管理や火入れのあり方など、個々の事例について様々な意見や質問が寄せられ、充実した楽習会となりました。
最後に浅川事務局長より、青水の活動が日本自然保護協会より本年度の沼田眞賞に決定した旨、通知を受けたことの報告がありました。同賞は、自然保護と自然保護教育に関する研究または実践で優れた実績をあげた個人や団体を顕彰し奨励する賞であり、1月に授賞式と記念講演会が開催されるとのことです。(幹事 稲)

2010年9月22日水曜日

UENOHARA grassland

   第4回「コモンズ村ふじわら」は9月18,19日の両日、秋晴れの下で行われた。
18日ミズナラ林の伐採個所を踏査している時上ノ原の獣人カモシカと遭遇。
彼は私たちと一定の距離を保ちこちらを時々見つめながらゆうゆうとタニウツギの葉を食べていた。こちらも動かず絶好の被写体と写真撮影。そのうちやはり居心地わるいのか遠巻きに斜面を移動藪の中に消えた。その間7分ほど。このカモシカ君、「ほたか」と名付けておこう。
 
そしてもう一つの遭遇、19日の作業が終わる11時半ごろのこと、そろそろ幸新に移動して昼食と仕度仕掛けた時、一台の赤い車が広場に入ってきた。
出てきたのは男性の外国人。作業着姿の我々に興味をしましたのか流暢な日本語で「ここで何しているのですか」と話しかけてきた。日本語が話せるのならば問題ない。上ノ原のススキ草原の経緯、野焼きや茅刈り、屋根材として利用していることなどを話す。 
彼はM.Tという名前でドイツ人とのこと。M.Tさんは上ノ原の景色が気に入って何度も来ているとのこと。
そこに作業から帰ってきた塾長が会話に入り、青水の活動を説明して、会員勧誘のパンフを渡し、10月のコモンズ村ふじわらへの参加を促す。これらの説明になると流暢に日本語を操るM.Tさんでも理解は難しいらしく、英会話を駆使したりSさんの通訳を介しての会話となった。そして塾長曰く「ここの草原はただの自然の景色ではない、人と暮らしが関わった風景である」。この上ノ原草原の神髄が通じたことを願うとともに
青水の外国人会員第1号を実現させたいものです。M.Tさん連絡待っています。
一緒に上ノ原の風景を堪能しましょう。
   尾花振り すきすきススキ 迎えけり -GFO-

2010年9月20日月曜日

第二回東京楽習会開催



本年度第二回目の東京楽習会は、7月24日(土)午前十時過ぎより渋谷区神宮前の環境パートナーシップオフィスエポ会議室で、会員他12名参加のもとに開催されました。第二回目のテーマは「流域市民が支える利根川水源地の草原」。海老沢秀夫幹事・学監(森林文化協会グリーンパワー編集長)、浅川潔幹事(コミュニティデザイン代表)の二名を講師に、本塾が地球環境基金の助成を受けて昨年度実施した「多面的価値のある草原を持続的に保全する仕組みの構築」に関することを中心に学習しました。
調査報告書「多面的価値のある草原を持続的に保全する仕組みの構築(上ノ原ススキ草原再生・活用プロジェクト)概要版」をテキストに、まず海老沢幹事が上ノ原の社会地域調査と自然環境調査のあらましについてお話し下さいました。ススキ草原の歴史的変遷に関することや、生物多様性と外来種の問題に関することなどを話題として取り上げ、上ノ原ススキ草原の現状についての理解が深まる機会となりました。
つづいて浅川幹事が、ススキ草原の持続的な利用と管理の在り方を中心に、他の地域での様々な活動事例を交えつつお話され、上ノ原「入会の森」ススキ草原の再生と活用を起点として流域全体の「コモンズ」形成へとつなげてゆく構想についても提言がありました。
「草原再生セミナー」など結成十周年事業を間近に控え、森林塾青水の活動と将来への課題について相互に学びあう機会となりました。
(幹事 稲貴夫)

2010年9月8日水曜日

古民家再生セミナー 古民家再生事例を視察 一日目

しばらく時間が経過してしまいましたが、7月10日11日にかけて中之条、新治、藤原地区の古民家を見ながら、茅葺き建物について、古民家の利用、古民家再生の大変さについて学んだセミナーを報告します。

◇一日目(7月10日)
7月10日11時に中之条駅に集合して、最初に町田工業さんが葺き替えた四万温泉の薬師堂を見学に行きました。
■薬師堂(やくしどう)(国指定重要文化財)
◆昭和25(1950)年8月29日・指定  
◆所在地 中之条町大字四万4371間口5.46m奥行5.46m、寄棟造三間四面。慶長3(1598)年、伊勢国鹿目喜左衛門藤原家貞が、真田伊豆守信幸の武運長久を祈願して建立したものであり、室町時代の建築様式(唐様和様の折衷)を出組・桁の形・板蛙又の絵模様・木鼻の渦巻等にその様式を残しています。
右側の写真は「薬師堂」の前にある「お籠堂」です。このお籠り堂は、長く治らない病気になったときに、このお堂に泊り込み、病気が治るよう薬師様にお祈りをしたのだそうです。


その後、昼食のために「道の駅霊山たけやま」茅葺き民家を移築した蕎麦屋にそばを食べに行きました。
■そば処けやき 
寄棟造りの茅葺き農家を移築改造した「そば処けやき」は、そば打ち体験施設「たけやま館」の南側にあり、嵩山との景観とも実にマッチしています。


その後、「たけやま館」の2階の座敷で座学で、町田さんが茅葺きの建物について、北山さんが古民家再生プロジェクトと自邸の古民家再生のお話、浅川が古民家とは、古民家利用事例について説明しましたが、建築基礎用語講座になってしまいました。一般の方々に建築用語を説明するのは大変ですが、学生はすぐに覚えてくれます。


■旧(きゅう)五反田(ごたんだ)学校(町指定重要文化財)
◆昭和63(1988)年3月26日・指定◆所在地 中之条町大字五反田1648 木造平屋建、入母屋造・亜鉛鉄板葺、間口50.9m(28間)、奥行9.91m(9間)。 明治43(1910)年建築で、建築記録もあり、学校建築の様式・費用等を知ることができます


その後、町田工業が茅(ススキ)を保管している倉庫を案内してくれました。ここには上ノ原のススキはありませんが、背が高いススキが保管されています。

中之条の茅場です。町田工業さんが刈り取りをおこなっています。そのそばにも茅の保管倉庫があり、上ノ原のススキが保管してありました。


現在富岡製糸工場と一緒に世界遺産申請中の富沢家住宅です。とても大きい建物茅葺に皆さんびっくりです。ここの屋根も上ノ原の茅が使われています。
■富沢家住宅(国指定重要文化財)
◆昭和45(1970)年6月17日・指定 
◆所在地 中之条町大字大道1274間口23.97m、奥行12.95m、二階建茅葺、入母屋造。三国街道脇往還沿い、江戸時代に建てられた大型養蚕農家の代表的なもので、一階は「土間」「ざしき」「でえ」「じょうだん」に仕切られ、「じょうだん」は書院造りでツリ天井。運送業も営んでいたので土間は広く、厩が4つもあり、二階では養蚕を行なっていました


●いちむ茶屋
宿泊した猿ヶ京温泉の民宿焔硝屋は、三国街道沿いにありますが、三国街道を散策する方が途中で休憩できるように、空き家となった古民家をお休み所として使っています。昨年度までみなかみ町観光商工課長の林さんに教えていただき、中を見させてもらいました。トイレなどは回収してますが、囲炉裏なども残されており、大変よい雰囲気でした。

●旧三国街道
道路沿いに水路があったり、要所に高木があったり直線道路ですが歩いてみたい道です。
その途中にお世話になった民宿焔硝屋があります。昔は鉄砲の焔硝を作っていたそうです。屋根は茅葺きを被せてありますが、古民家を改装した民宿です。


●猿ヶ京関所にて民話を語る 
林さんに「今晩、猿ヶ京関所で民話を語る会がある」と教えられて、西川のホタルを見た後少し遅れて、聞きに行きました。古い建物の中でのこのようなイベントはたいへん雰囲気がありよかったです。できれば子供たちに聞かせてあげたい民話でした。

2010年8月25日水曜日

古民家再生プロジェクト

8月20日から23日まで藤原の古民家調査と北山家の古民家再生体験を行いました。
20日の夜、学生部の浦ちゃんとまなみちゃんが藤原入り。ちょうどその日は、藤原の区民祭りがあり、子ども神輿や盆踊りを一緒に楽しみました。
翌21日は北山家の古民家再生体験をしていただきました。取り壊した土壁を再利用して、壁塗りをしていただきました。それから、トイレと洗面所のタイル張りもやりました。おかげで、仕事が進みました。


その夜は、藤原湖の花火大会をみんなで観賞して、2日連続の盆踊りにも参加。
翌22日は、9時に浅川さんと合流して、いよいよ古民家調査のスタート。湯の小屋から順に下りながら、外観、状態、形状、周囲の様子などを調べていきました。今回は、藤原全体の古民家の状況を把握するために、1軒当たり10分程度で、どんどん調べていきました。



湯の小屋の温泉、藤原にもこんな風景が残っています。この日は、予定の半分を夕方までに何とか廻り終了。夜には、立命館大学のしげる君が、滋賀から鈍行列車ではるばるみなかみまでやってきました。翌朝には、さらに 仲間の丹後村おこし開発チームのメンバー3名が車で15時間かけて、藤原までたどり着きました。


丹後村おこし開発チーム(京都の丹後半島で笹葺きの古民家を中心とした再生活動)


寝不足でへろへろの学生と上の原を散策。その後は、古民家調査に同行。


暑い中、みなさまお疲れ様でした。今回、平出以外の50軒近い古民家を調べることができました。ありがとうございました。



2010年8月24日火曜日

猛暑の草原に志の涼風が吹く

~志援(協賛)会員茅風交流会開催報告~

 8月17日は猛暑日となった。首都圏では38度に届くほどのうだるような暑さ。
 標高1050mの上の原もジリジリするような暑さであるが、草原には時おり涼風が吹き、水温12度ぐらいの十郎太沢の水は、のどを潤すと心地よい涼感を感じさせてくれる中で茅風交流会が開催された。
 今年度から本格的に始めた、青水を「志」で応援する志援(協賛)会員キャンペーンも8月1日現在既存法人会員4社を含めて23社となり、みなかみ町などの源流域について一段落したしたことから源流域の志援会員21社に、一度上の原のフィールドと藤原をご案内し、今後の青水の活動にパワーとアイデアを頂戴するという趣旨で意見交換会を呼びかけてところ10社の参加をいただいた。
 参加者は、みなかみ町鬼頭副町長、町田工業株式会社町田社長、小荒井製菓小荒井社長、辰巳館深津社長、武尊山開発(株)雲越宝台樹事業所長、みなかみ高原ホテル200 小関総支配人、源泉湯の宿松乃井戸澤社長、喫茶しなだ品田社長、みなかみ町商工会山田経営指導員。
 また、みなかみ町から木村、金子さんに随行いただいた。
青水から清水塾長、草野塾頭、北山現地事務所長、石原若頭がアテンドした。
 なお、当日は朝日新聞の記者が取材をかねて終日同行した。
 当日はみなかみ町のワゴン車運行の協力を得て、上の原に集合したのが10時30分。
 
 上の原もさすがにこの日はさえぎるものがない炎天下ではじっとしていても汗が噴出す。
参加メンバーの紹介を終え、十郎太沢沿いを柞の泉へ向けて散策開始。途中、武尊山や谷川岳を眺め、ハギやオミナエシなどの植物のこと、春の野焼き、除伐、そして10月に行う茅刈、草原を維持するために必要な一連の作業などを説明しながら登っていく。


 ところで、今年のススキは丈が低く、旺盛さがいまひとつ、一方、ススキに比べて雑草の繁茂は激しく、スススキの生育はあまり良くないと感じていたところ、町田社長に聞くと首をかしげて「今年はあまり良くないなー」、そう言えば今朝会った幸新のおばあちゃんもそのようなことを言っていた。
 今年の夏は暑さが厳しく、雨も少なかった(一回一回の雨は多かったというが)のが原因ではないだろうか。

 やがて、一行は炎天下からミズナラなどの樹林に入ったとたんにひんやり感を体感。
柞の泉では水温10度の天然湧き水を味わってもらい、設置した自動カメラの説明などを行う。その後、木馬道・管理道を経て広場に帰る40分コースでフィールド散策を終える。
 この間、参加者の皆さんから異口同音に「いいところですね~」「おちつきますね~」「もっと活用すべきですね」との感想が聞けたのは大変うれしいことであった。
 ところで、メンバーの中の戸澤社長は、森林や山菜、キノコ、動物の習性などのとても詳しく、ご自分でも山菜やキノコを採取してホテルのオリジナル料理に一品加えておられるとのこと。聞けば、東北のマタギと一緒に暮らし、山のことを教わったとのこと。
  会場を幸新に移し、意見交換の場を設定してあったがフィールドで時間をとられ、資料の説明と10月に行う10周年記念フォーラム及び茅刈検定への協力を特にお願いして昼食。
 実は、茅風交流会にはもうひとつ目的があった。それは、この日は藤原諏訪神社の夏祭りの日であり、伝統芸能獅子舞や奉納相撲が興行され、藤原が賑わいを取り戻す日である。
 茅葺きの諏訪神社の舞台で行われる藤原の文化・歴史にふれてもらうためにわざわざこの日を選んだのである。

 獅子舞や奉納相撲はプログラムによって挙行されるが時間は早くなる場合もあるとのこと、時間を見計らって諏訪に移動。しかし、プログラムは大幅に遅れており、獅子舞の最終幕がなかなか始まらない。みなさん仕事の都合を付けて参加されていることもあって、この場で解散とすることになった。それでも2~3名の方にはその後始まった獅子舞を鑑賞していただき14時40分ごろ藤原をあとにした。

 猛暑の中、そしてお忙しい中、ご参加いただいた皆さんに改めて御礼申し上げます。
また、ご協力いただいたみなかみ町役場、藤原区、商工会に心から感謝申し上げます。
 今後、志援会員キャンペーンの対象はいよいよ利根川沿いに中流域・下流域に下っていく。
このような意見交換の場を何度か開催するとともにフィールドを見ていただく機会を作るなどして“利根川つながり”の「志力」を結集して流域みんなで支える「流域コモンズ」の実現を青水は目指している。


草野洋

2010年7月26日月曜日

天然ク-ラーと熱帯性都市型ジャングル

―「モグラもヒトも熱中症!」考 ―

・7月20日から3日間、塾の仲間とともに群馬県みなかみ町藤原に滞在した。麗澤中1年生「水源の森フールドスタデイ」と川越小5年生「里山探検クラブ」の児童受け入れのためだった。
上ノ原や田んぼのあちこちで、短い夏を彩る草花やチョウやハチやトンボなど様々な生き物が元気な姿を見せてくれた。用水路脇で大きなカエルを捕まえた子供たちが歓声をあげていた。都会の子たちが自然児に還った瞬間だった。(写真①)
・出会った生き物たちで驚かせられたのは、上ノ原に向かう車道に仰向けになっていたモグラだ。運転していた北山さんが発見、車から降りて確認すると息がなかった。丸まると太っていて車に轢かれた形跡はない。すると、地元の皆さんが“馬鹿げに暑い”と形容する猛暑のせいか? 22日の朝10時ごろ、アスフアルトの路上の温度は40度を越えていたであろう。下界の埼玉県下では、18日から23日までの6日間で21人が熱中症で死亡したという。医者も薬も病院にも縁のないモグラたち。いったい何匹、熱中症になっていたのだろうか、など愚考した。(写真②)
・この3日間、飲み水は全て谷の湧水で済ませた。水温は10度、森の中(標高1070㍍前後)の気温は日中で26度前後。湧水はまことに美味く、林内は正に天然クーラーさながらに涼しく快適。民宿の朝夕は肌寒いくらいだった。ところで、最終日の22日18時半から始まるW大学「環境講座」受講のため、東京に直行し新宿駅で乗り換えた。なんだ、この“暑さ(熱さ)”は! 缶入り飲料が飛ぶように売れている。19時、教室に飛び込んだ。「環境講座」とはいえこの暑さ、冷房は入れている。20時現在の室温を携帯温度計で計ると28度。昼間の田舎の森(天然クーラー)26度VS 夜中のコンクリートビル街(熱帯性都市型ジャングル)28度、という構図。(写真③)
・猛暑が続くこの夏。気温が1度上昇することの経済効果は約4,000億円、の由。(日経新聞7月24日夕刊) 藤原に滞在した3日間、水も買わなかったしエアコンも使わなかったので、環境負荷は限りなくゼロだが経済効果も限りなくゼロ。東京にいて缶入りのお茶買って冷房がんがん入れれば、経済効果は抜群だけど環境負荷も絶大。各地で猛暑の記録を更新した7月22日。同じ1日のうちに、二つの異なる土地に身をおいて経験した対象的な事象。地球環境問題の本質の一つは不可逆的現象であること、と学んだ。かつての『暖冬異変』が死語となり『猛暑日・熱帯夜』が常態化しつつある今日。我々はどうしたらよいのか? 環境講座の講師や受講生の皆さん、ヒントをご教示下さい!
(2010年7月25日。清水)