2015年9月19日土曜日

 他人味噌を味わう旅 日光オプショナルツアーを実施


○上ノ原を後にして

  913日、上ノ原での活動を早めに切り上げて2台のレンタカーに分乗した一行は藤原を出発。途中水上駅で1名をピックアップ、上毛高原駅で今回のオプショナルツアー(以下OT)に参加しない2名と別れ、10名となって金精峠経由で日光湯元へ向かいました(坤六峠経由がブナ林など見どころ満載でベストですが送迎の関係で断念)。

OTは今回で3回目、活動の後を利用して、これまで中之条、片品村を訪れています。

今回のOTは、青水の活動にもたびたび参加していただいている飯村さんが主宰する日光茅ボッチの会のフィールドを訪れます。日光茅ボッチの会は、日光市土呂部地区で青水と同様な二次草原(採草地)の保全活動をしている団体です。

 120号線を走り、丸沼を通過し、途中、湯ノ湖と男体山の絶景が望める金精峠ビューポイントで一休み、湯滝遊歩道を散策して本日の宿である休暇村 日光湯元に到着したのが1630分ごろでした。
湯ノ湖
 

○休暇村日光湯元

このホテルは、風光明媚な湯ノ湖湖畔に在る温泉ホテルです。硫黄の香りが強い白濁湯で温泉浴を楽しみ、地元産を使った食材の会席とサラダバイキングの夕食を堪能した後、例によって懇談会、皆さん言いたいことを言っては笑い合う和やかな雰囲気。特に、Sさんはいつもに増してのはしゃぎぶり、よっぽど楽しかったのでしょう。

翌日は、早起きして湖の周りを散策した人も多かったようで、出発は8時、土呂部までは

いろは坂を下り、日光市、霧降高原を経由して約1時間40分、途中雨が降り出しましたが土呂部集落に到着した頃は上がっていました。

○日光茅ボッチの会のフィールド 

現地では、日光茅ボッチの会の代表の飯村さん、副代表でネイチャーガイド会社「自然計画」の宮地さん、地域おこし「くりやまGo企画」代表の青山さん、そば処「ひなた」の湯沢きみえさんにご案内いただきました。フィールドは大曾根、オホッパの2地区AFまでの6区画、合計5.84haです。うち保全対象地域4.93haにはシカ食害防止用の電柵が張られ周囲は漏電防止のためきれいに刈り取られていました。土呂部の草地は、上ノ原と違って牛の飼料を採取する場所です。つまり採草地で、かつては集落の肥育牛の資料として利用されていましたが現在は1軒の畜産農家が利用しているとのことでした。上ノ原とは植生もだいぶ違って、ススキが少なく、ワラビなど多様な植物が生育しています。それだけに、草花も種類が多く多様性が豊かな草地でした。
採草地から土呂部集落を遠望
 
飯村さんの案内
 
 

私の印象に残った草花はウメバチソウ、コウリンカ、シオガマギク、サラシナショウマ、ワレモコウ、キバナアオギリ、アクボノソウなどですがこのほかにも、カラハナソウの花がちょうど盛りで口に含みむみビールの苦みを味わいました。林に入るとサンショウが実をつけておりこれらも味わいながらの散策です。柵の周囲はきれいに刈り取られた散策路となっており歩きやすく、飯村さん他スタッフの豊富な植物の知識に裏打ちされた解説を聞きながらの散策は楽しく時間の経つのも忘れてしまうくらいでした。最後に訪れたオホッパにはシバグリの木がたわわに実をつけて、地面にたくさんの実が落ちておち、みんなで栗拾いとなってしまいました。ここにはオオナンバンギセルが咲いていました。
 
カラハナソウ
ワレモコウ
 
ウメバチソウ

 
 
オオナンバンギセル
 
 
  日光茅ボッチの会の定例活動は月2回、18名の会員のほかに宇都宮大学の学生サークルや土呂部集落の協力があってなかなかにぎやかなようです。参加者集めに苦労している青水にはうらやましい境遇でした。作業は、草刈り、シラカバなどの侵入種伐採、電気柵設置、メンテ、自然観察会、植物調査など、中でもシカ対策は悩みのタネのようです。平成25年からの活動の甲斐あって、二次草原が維持され茅場風景と貴重な植物が守られています。

刈り取りは、採草利用なので刈り払い機を使っており、一定方向に倒すためのオリジナルの付属品を付けた機械を使わせてもらい大変参考になりました。また、刈ったボッチに目玉などを付けて擬人化したものは遊び心があって青水でも10月の萱刈でやってみることにしました。
 
改良した刈払機

ボッチ君

 

 草原を歩いた後は元気のいっぱいの女将さんが取り仕切る民宿「水芭蕉苑」でおいしい蕎麦・イワナ定食をごちそうになりました。たぶん10割蕎麦でしょう。ぶつ切り状の素朴な蕎麦に我が故郷で大みそかに食べる「そばきり」を思い出しました。

○霧降高原

 この後、一行は飯村さんの勧めもあって、霧降高原スゲの平の半自然草原の遊歩道を1時間ほど歩き、秋の草花を鑑賞しました。霧降高原はそのロマンチックなネーミングもあって一度は訪れたい名所でしたので私にとっては念願がかないました。90種以上の草花が生育し、鑑賞のための施設も充実した素晴らしい草原でした。ニッコウキスゲの花のころに再度訪れたいものです。
霧降高原キスゲ平
 

 霧降高原からは今市市が一望され、今度の豪雨で牙をむいた鬼怒川が曲がりくねって流れ下っていました。しかし、土呂部も総雨量540mmだったとのことですが山肌の崩壊地は想像以上に少なく、森林がちゃんと持ちこたえたことを物語っていました。何よりもあの記録的な豪雨ですからそれらが鬼怒川に集中しての堤防決壊、自然の猛威は恐るべし、この被害で日光からの鉄道の便は不通、レンタカーは宇都宮乗り捨てとなってしまいました。

被害を受けられた皆様に心よりお見舞い申し上げます。

○他人味噌を味わって

 上ノ原だけを見てきた我々にとって今回の日光茅ボッチの会のフィールド視察はこれからの茅場の保全活動に参考になることが多く本当に有意義でした。

 やはり、たまには他人味噌を味わってみるべきですね。他流試合で手前の味を見直すことの大事さを知らされました。今回のOTも大成功??

 ところでこのOT紀行文も手前味噌にならないように、企画・催行した本人が書くより参加者に書いてもらいたく、参加者の中で一番熱心に質問し写真を撮り、メモをしていた方にお願いしてみましたが体よく断られてしまいました。よって、思い切り手前味噌です。

                                     草野記

 心の琴線に触れるか 上ノ原に新カンバンお目見え


9月12日に、上ノ原茅場に新たな木製カンバン3基が設置されました。

 これは、最近、上ノ原茅場がポイ捨てなどに悩まされ、昆虫や植物の採取なども見受けられることから、みなかみ町昆虫等保護条例の指定地であり、マナーを守ってほしいことを訴える何らかの措置が必要との塾の要望を受け、みなかみ町に予算措置していただいたものです。

制作者は、かねてより木製看板制作の評判が高い水上工房の広川さんです。さすが青水の元塾頭で、塾の草創期に携わり、塾や上ノ原についても詳しい広川さんが作ったものです予想通りの逸品となりました。

 
 
 
設置場所は、文面と目立ち具合を考えて広場、中央管理道と武尊登山道の交点の手前、武尊登山口の町道上側としました。この看板は11月に撤去し、春に再度設置することにしています。

  文面は、下記の3文です。

 

① 「邯鄲(かんたん)が鳴く草原の夜

  ポイ捨て空き缶が月光に不気味に光っていました」

  ここは、みなかみ町昆虫等保護条例の指定地です。

  ゴミは持ち帰りましょう。      みなかみ町

                    森林塾 青水(http://www.commonf.net

 

② 上ノ原「入会の森」は、人の力と生き物

たちのつながりで成り立っています。

ここは、みなかみ町昆虫等保護条例の指定地です。

草原維持のための作業に、貴方のお力

と昆虫・植物への愛情をお願いします

―昆虫と・植物の育つ環境を大事にしましょうー

 

 ③ 森林塾青水は「飲水思源(水を飲むときはその源を思うべし)

を合言葉に、上ノ原の半自然草原を保全する活動を

行っています。

ここは、みなかみ町昆虫等保護条例の

指定地です。

命の水と草原風景を汚さないで!
 
 
 
 

看板文は、塾で作成したもので、いずれも心の琴線に触れるものとしたつもりですが

さてその効果は!!
 
                                                  草野記

2015年9月17日木曜日

活動報告 ミズナラ林の整備と初秋の藤原探訪 車座講座「藤原茶飲み昔語り」

 

 9月の定例活動は、1213日、12名参加、両日とも初秋らしいさわやかな天気だけど身体を動かすと大汗をかくような気温の中行われました。周囲の山々の紅葉はまだ早く、上ノ原のススキの穂はツンと上を向いて穂は赤味を帯び、風に舞う綿毛は未だできていません。これが10月には垂れ下がり、招くような尾花となります。


赤味を帯びた若い穂 生育はいまひとつか?
○上ノ原のススキ

 ススキは全体的に元気がないように感じられ、心配しているススキの生育不良は今年も続いているようです。それに、ススキ以外の草の繁茂が激しくなったように感じるのは気候のせいなのか、富栄養化しているのか、その反対に長年の利用による衰退か、土壌分析をするなど早急な原因分析が必要です。 

 

○ミズナラ林伐採・材運搬・散策

今回の作業は、伐採と伐採木の玉切りと管理道までの運び出し。

伐採は、昨年の試験地伐採箇所の隣接地を55200本伐採する段取りでしたが伐採手が草野だけでしたので思うようにできませんでした。それでも、ニューチェンソーを駆使してミズナラ、ミズキ、ハウチワカエデなど20本ほどを伐採・玉切りしました。このうち2本はKさんが伐採しました。初体験ながら想定した方向に倒れました(お見事)。
初体験の伐採木が倒れる瞬間 お見事!
 

 搬出は、昨年に伐採して残っていた材を運びやすい長さに玉切りし管理道脇まで運ぶ作業です。1年以上たって乾燥しているとはいえ、径20cmの重量物もあります。皆さん、抱えたり、肩に担いだりの重労働です。黙々とやっていただき全体の半分程を運び出しました。これは、NPOが作った石窯の炭焼き材として使います。10月には初窯で上ノ原白炭が生産されます。残りの大径材などは薪ストーブの薪として使います。重労働の割には達成感今ひとつだったかも・・・。
重労働でも黙々と
 

 重労働なのであまり長い時間は体の負担になります。力が残っているうちに切り上げて、木馬道を散策した後、秋の夕日に赤く染まったススキ草原を後にしました(マユミの赤い実が鮮やかでした)。
マユミの鮮やかな赤い実
今年はハバヤマボクチが自己主張

熟せばおいしいツノハシバミもまだ青い
 

 

○車座講座 藤原茶のみ昔語り

今回は車座講座「藤原茶飲み昔語り」でした。語り手は民宿の女主人です。傘寿を過ぎてなお矍鑠とした語り手は、昭和初期の比較的穏やかな時代から戦中・戦後の食糧難・物資不足の時代、ダム開発などで藤原が大きき変わった高度経済成長時代、その後の過疎化に拍車がかかった時代など藤原の変貌ぶりを見てこられました。

 講座は、昔日の青木沢集落のこと、青木沢峠道のこと、藤原の伝説、藤原の四季と暮らしのこと、趣味である押し花のこと、当時の営林署の評判、青水に対する評価などを草野が質問してその回答という形で語っていただきました。

 詳細は追って聞き書きとしてIさんにまとめていただきますが、印象に残ったものを記載しておきます。

語り手は、藤原の青木沢集落で生まれ育っておられます。子供時代通学路として使った青木沢峠道(青水が再生)を一緒に歩いていただいたことがあり、その時の感想と大雪の中の峠道の通学は大変だったでしょうとの問いかけに「40年ぶりに歩いて懐かく、歩けるようにしていただいてよかった。雪の中の生活、皆さんそうおっしゃるけど、こんなもんだと思って暮らしてきたのでそれほど苦になりませんでしたよ」と予想に反した答えが返ってきました。そうですね、自然を受け入れた生活でないと厳しい中では生きられないですよね。私たちの今の生活は自然に打たれ弱く不満や不平が多すぎますね。反省させられました。また、雪道の通学には雪踏みなど両親や集落の大人たちの子供達への愛情あふれる支えがあったことを語る顔には周りの人々への尊敬の念があふれていました。

 両親や兄弟の絆が強く、家族文集も出されておりみなさん教養に富んだ方のようです。家族が助け合って暮らしてきたエピソード、藤原は子供の教育に熱心でみんなで助け合って学校や子供たちを守ってきたことなど村人や隣近所の人々に対する愛情がひしひしと伝わる語り口でした。ここでは昔の貴重な写真などを見せてもらいました。

  亡くなったご主人は材木の伐採搬出の杣頭もされていて索道での材木の出し方を手ぶり身ぶりで説明されました。索道での伐採搬出は大変危険な作業ですがご主人が杣頭時代には一件の事故もなかったとか、仕事に厳しいきちっとした人だったようです。このとき、ご主人が買い集められた材が民宿の普請材料に使われていて藤原で佳い材が出ていたのがうかがわれます。

 押し花は、相当、勉強や研究をされたようで、NHKの婦人百科のコンテストにも入選されたとのことです。たくさんの作品を見せてもらいましたが草花の特徴を捉えて作品のどの部分に使うか発想力の素晴らしさがわかる作品でした。 

 自然とともに暮らす知恵、人に対する愛情があふれる語りは約1時間半続き、参加者からの質問ににこやかに答える御顔には赤味が差しその魅力にひきこまれた参加者は夜遅くまでその余韻に浸っていました。 林さんはとても魅力的な歳の取り方をされています。私はあのような歳の取り方ができるだろうか?あこがれます。

車座になって




魅力的な歳の取り方をされている語り手

 ○早起きは値千金

2日目は、皆さん5時の早起きで、昨夜の語りに出てきた青木沢集落を実際に見て、語りがよみがえってきました。そのあと、上流に鎮座する武尊神社に参拝し、名瀑裏見の滝を散策しました。遊歩道には栃の実がたくさん落ちていて、栃餅に挑戦するという某参加者が動物に先駆けて拾っていました(リスさんお先に)。

現在の青木沢集落の一部


裏見の滝 残念ながら裏から見れない

 

 今回も県道刈り払い奉仕もしました。

稲が色づき始めた初秋の藤原の素晴らしい景色と人情に満喫した2日間でした。

今回の活動の様子を群馬県森林ボランティア支援センターのスタッフが取材されました。下記のURLに掲載されています。

群馬県森林ボランティア支援センターのあいさつ

http://www.morinowa.pref.gunma.jp/report_p/   4コマ目

写真は、笹岡さんに提供いただきました。

                                            草野記

 

 


 


2015年9月7日月曜日

藤原諏訪神社例大祭 -祭りは続き、地域も続く-


 藤原諏訪神社の祭りに行ってきました。この祭りはこれまで盛夏の817日に催されていましたが、今年は96日(日)に行われました。8月は、民宿などが忙しく参加しにくく、都会に出ている人もお盆で帰ったすぐ後で帰郷しにくいという理由があったようです。なんでも、以前は9月のこの時期に行っていたようで夏祭りと思っていましたが秋祭りだったのですね。

 当日は、11時半ごろに諏訪神社につきましたが既に祭りは最高潮、四場うちの二場の獅子舞が終わり地元出身の演歌歌手が歌っているところでした。境内には大勢の観客がいて顔見知りもたくさんいます、しかし、20年前に観たときには桟敷席はほぼ

満席だったのですが今回は当時の3分の1程で、時の流れを感じました。

 
 
 
賑わいが戻った諏訪神社
 
 
 
桟敷席から威勢のいい掛け声(ヤジ?)やおひねりが降ってくる
 

塾からの神饌料を納め、いつもお世話になっている民宿の女将さんたちと話していたところ、町田工業の町田社長と出会い、そこに区長さんが寄ってきて、神社の修理にお世話になった二人を紹介したいとのことでした。

そうです。平成24年北側、25年南側の2回に分けて行われた諏訪神社の屋根替え用の茅は上ノ原産でボランティアが刈ったものを町田工業さんに加工してもらって現物支給したのです。
 

 
また、今年の雪で被害を受けた梁の修理の際の屋根茅は町田工業さんにも在庫がなく、昨年の10月の茅刈でボランティアが刈った茅ボッチ80ボッチ(400束)を倉庫にストックしていたところ急遽使わせてほしいとの申し出に寄進したものでした。
 
 
花笠たちに連れられた獅子が入場
 
もっとも、素人がボランティアで刈ったもの、品質は今一で、400束のうち
根茅用に精選したら約半分になったそうです。ボランティア製といえどこうして
お役に立つのですから茅ボッチの品質の向上が望まれます。
屋根茅の寄進は私たちにとっても藤原の方々の心のよりどころである諏訪神社の修復に貢献出来るので大変喜ばしいことです。区長さんから私たちを皆さんの前でご丁寧に紹介していただき大変恐縮しましたがこれまでの活動が実を結んだと感じました。
祭りは、集落が輪番で担当しているようです。今回は四場の獅子舞の幕間に、子供達のダンス、歌謡ショ-、大利根源流太鼓の演武、地元婦人衆のユーモラスな踊り、カラオケなどまさに村人こぞってのお祭りとなっていました。
一場30分以上連続で、それが四場の獅子舞

大利根源流太鼓
 
婦人衆のとっくり踊り
 

 
獅子舞は笛や鐘の囃しに雌獅子1頭と雄獅子2頭が踊る伝統的な奉納獅子舞です。
私が見た第三場の「耶魔懸り」の獅子を北山さん、吉野一幸さん、この場の雌獅子は一幸さんの長男、そして第四場の「吉利」を中島真人さんが振っていました。花笠は親男さんや惣一郎さんも登場していました。
獅子舞は一場が約30分以上も続く長丁場で、大半が中腰の姿勢で、動かす頭や手足は数えきれないほど多く、振者の疲れは並大抵ではなさそうです。あとで北山さんに聞いたところ817日から稽古に入ったそうです。私たちと一緒に観賞していた民宿の女将さんの話によると、今年の当番の集落の振り手はまだまだいるようですが、ある集落は過疎化や老齢化で危機的状況のようです。
神様に感謝し五穀豊穣を祝う祭り、地域の人々の心のよりどころである祭り、そこで奉納される伝統芸能の獅子舞がいつまでも続きますようにと本殿に祈りました。
「祭りの終わりは地域の終わり」といいます。祭りに帰ってくる者がいて、残った人と移住してくる人が力を合わせ自分たちでできる間は自分たちでなんとかする気概で祭りを続ける藤原の健在ぶりを知らされた祭りでした。
 
 
動画を貼り付け皆さんに見てほしかったのですがうまくいきませんでした。
塾でもこの祭りに参加するツアーがあってもいいでしょうね。

                                 草野記