2016年4月29日金曜日

2016野焼き顛末記               残雪・雪山がなくても知見・技術で克服


 野焼きにはいつもドラマがある。残雪が多すぎたり、少なかったり、異常乾燥、強風、近隣の山火事、住民の心配、火入れ許可者である町役場の過剰防衛などがそれである。

 今年の少雪、村の古老の言葉を借りれば「おいら、80年ちょっと生きているが、この雪の少なさは100年以上ぶりだべ」らしい。そのことは3月の定例活動の際に分かっていたことであり、雪が少なかった場合の野焼きのやり方を始終頭に置いていた。3月に提出した火入れ申請書は、過去に4月に雪が降ることもあり前例踏襲で提出。野焼き2週間前、除雪が不要ということがはっきりした段階で具体的な方法を描いていた。

 それでも、当日の天候次第であり、異常乾燥や強風で中止もあり得る。とにかく現場の状況把握が重要である。前日、単身で上ノ原に乗り込んだ私の携帯に役場の担当者からの連絡が入る。嫌な予感がしたが案の定、此処からドラマが始まった。

 「今年は雪が少ないので山火事の危険が高い、中止してほしい」との要請。予想はしていたが、「雪が少ないことは承知している、現場を見たか? やる方法は考えている。現場を見て判断する」と返し、一緒に現場を見ることにする。

 一足先について、全体を見回り、防火帯や道路に囲まれた十郎太沢から東南側の管理道から下部、つまりBブロックを焼くと決め、全体の可燃物の量、防火帯の状況を念入りに確認。可燃物は昨秋の茅刈量が多かったので比較的少なく、雪で抑えられ倒伏している。防火帯も昨夏に念入りに刈り取っていたので可燃物は少なく、類焼のリスクは低い。見ている間にも小雪が降る気象条件で枯草も湿り気がある。風ばかりはその時までわからないが、この状態であれば防火帯側から野焼き面に可燃物を掻き寄せて、不燃帯を作り、斜面上部から焼く縞焼きを採用することで安全に実施できると踏んだ。もちろん100%安全とは言い切れないが消防団も出動してくれることになっている。雪はなくても野焼きの知見と技術でやれると確信をもって役場担当者を迎えた。
 
野焼き前日の状況調査、気象条件は野焼きに最適
 

 しかし、担当者は、最初から中止ありきであるので現場を見ても、技術的な説明にも翻さない。上司と相談するとして持ち帰った。
  その後、神奈川から前日入りしてくれた、F夫妻と3人で、刈り払い機で防火帯と管理道の斜面下部5m程度の地面をなめるように刈り払う。遅れて到着したSさんには、可燃物の掻き寄せを一部やってもらう。この作業は、明日の参加者が着火前に行う主な作業になる。

 
防火帯の地面をなめるように刈り払い
 
 
防火帯の可燃物を野焼する面に掻き寄せ

 野焼き箇所に決めたBブロックでは、岐阜大の津田先生、筑波大の安立先生のグループが試験地の設定準備に余念がない。
 防火帯の刈り払いに目途を付け、火付け棒、火消棒の準備が気になるもののこの日の作業は終了。
 この日の宿、吉野屋に帰りしばらくすると、役場の担当者が再び面談を求めてきた。野焼きの可否を課内で検討したが「許可できない」との結論であった。一旦許可したが取り下げるとのこと。許可申請書にある残雪・雪山がないことが理由らしいが許可したのは412日、その時点では残雪も雪山もなかったはず、当然、納得できない。

防火帯は役場の指導で作設した経緯がある、防火帯を機能させる方法や、風上、斜面上部からの着火など技術的な方法で対応できる、今の気象条件下で不許可なら防火帯方式の野焼きはできない。なんとか許可の方向でそちらからの条件を提示するなどして見直してほしい旨強く要望。明日の今日では、準備も進み、参加者への連絡も今では無理だ。どう説明するのか。中止理由を文書で欲しい、また参加者への説明を役場のしかるべき方にお願いするとしてこちらも引き下がらない。
 決断ができない者との話し合いは平行線である。またも持ち帰りとした。
 その後も連絡なく、こちらから電話で両大学が設定している試験地の周辺、1か所0.3ha2か所、計0.6haに面積を縮小して防火帯、火入れのやり方でリスクを軽減する方法を提案すると、しばらくしてその方向で行くとして担当課長等が明朝現場を確認することになった。
「これで今夜は眠れる」と安堵したのはその時の正直な心境。

翌朝は本番、早朝より役場担当者5人が上ノ原で現場確認、防火帯、野焼きのやり方など技術的な説明ととともに両大学のそれぞれの試験地の意義などについて説明してもらい、ようやく野焼き本番を迎えることができた。
 
試験地の説明
 

さて本番、役場からの来賓(代理)はなかったが頼もしい味方である消防団が駆けつけてくれた。始まりの式で30人ほどの参加者に経緯を説明するとともに今年の野焼きは塾の技術の真価が問われている、より安全に一糸乱れず行動してほしい旨熱望する。そのあとの山の口開けではより念入りに安全を祈願したことは言うまでもない。
 野焼きのやり方であるが、Bブロックの2/32つの小ブロックに区分するため各試験地の中間地点に臨時防火帯を設定して刈り払い、参加者の皆さんに、従来の防火帯を含め可燃物を野焼きする側に掻き込む作業を行ってもらった後、風向きを考慮して初めに北西側(十郎太沢側)を焼くことにした。

掻き寄せ

 火がコントロールできるように津田先生と私の2名だけが着火を担当し、他の方は、ジェットシューター、火消棒、レーキなどをもって周囲を囲むように配置。

着火者は限定
 
風上・斜面上部からの着火
 
 
 
 
ジェットシュターを持った目が火を監視



斜面上部(管理道)から風向きを考慮して、臨時防火帯に沿って着火、臨時防火帯と野焼き面に焼け跡を作り徐々に斜面下部そして内側に着火していく(縞状に焼失面を作っていくのでこれを縞焼きという)。消防団が管理道の上下に念のため注水してくれたので安全性はより高まり掻き込み箇所や臨時防火帯がきれいに焼け残って効果を示して終了。

頼もしい消防団の注水
 

 南東側(カラマツ共有林側)の小ブロックは、本来の防火帯との間に間隔がある。焼く面の境に臨時防火帯を作りたいが、時間をかけていては風向きがどう変わるかわからない。このまま一気に焼いた方がよい。津田先生、増井さんと相談の結果、初めに焼いた小ブロック側は類焼の心配はないのでジェットシューターと消火棒などを持った人員を集中配置して、臨時防火帯は作らず、斜面上部、風上から着火し、まず南東側に焼失面を帯状に作る焼失面防火帯方式をとることにとした。
 それを説明すると案の定、役場の担当者から刈り払い防火帯を作ってほしいと要望があったが、野焼きの技術面を見せる必要もあって予定通り実施したところ焼失面防火帯が町道までつながり、それ以外には火は広がらず全体を焼くことができた。

臨時防火帯が機能

 火を着けると、火は焼かない面にも広がろうとする。そこにジェットシューターで水をかけると、そこのエネルギーが減少して、その分のエネルギーは燃やす面に向かっていく。火の性質を知ったうえでのコントロールである。このとき、増井さんが言った「火にいかに仕事をさせるか、どっちに向かわせるかだ、それはコントロールできる」との言葉が印象的であった。


焼失面防火帯を作る。火にいかに仕事をさせるか


野焼きは、よく失火で問題になる野火焼などと違い、火をコントロールして仕事をしてもらう技術である。塾は上ノ原の雪間焼だけでなく各地の野焼きの現場で経験している知見・技術がある。日本の野焼き第一人者の津田先生やそのお弟子さんである増井さんがついている。それらが理解されていないことが悔しい。12年間も野焼きや茅刈などを行ってきた塾の活動を否定するかのような、現場を見て判断しない机上の懸念に心も身体も疲れた2日間であった。

塾は、ただ野焼きをやりたいからやっているのではない。かつて集落の人が協働で行ってきた暮らしの中の人間活動に代わり、ボランティアという人間活動を通じて茅場を再生しているのであり、それが上ノ原の茅場という地域のタカラを生んだのである。

この上ノ原は、かけがえのない貴重な財産である自然環境並びに生物多様性を守り育てるため、みなかみ町自然環境及び生物多様性を守り育てるため昆虫等の保護を推進する条例(平成23318日 条例第3号)」の指定地になっている。  


この条例の目的にもある生物多様性保全のために野焼きが重要であることを理解してむしろ防波堤になってくれるのを期待したのであるが・・・。

また、昨年12月には野焼きや茅刈によって生物多様性が保全されている地域として環境省の生物多様性保全上重要な里地里山500選に選ばれている。


ここ上ノ原で塾は営々と作業を続け、茅場らしい状態を取り戻させた活動そのものと成果の評価が問われた野焼きをめぐるドラマであった。しかし、残雪や雪山がなくても安全に焼けることを実証し、役場などに示すことができたのは一つの収穫で「実践に勝る説得力無し」である。
野焼きには技術がある


実践して見せた雪のない野焼き! 鎮火直前!!

 

このような人間界の現場の状況を把握しない判断で上ノ原の二ホンカモシカ、オオヤマザクラ、ヒトリシズカ、ヒメシジミたちの賑わいに影響を与えてはならない。

今後も、上ノ原の生き物たちのために、情熱や技術を駆使して様々な課題を克服するとともに地域や行政に適正な評価を得られるように自己研さんに励まなければならない。

継続はチカラ、そしてタカラをつくる。

 

      森林塾 青水 塾長 草野洋 記

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