2016年9月27日火曜日

約40年ぶりに木馬が走った!ミズナラ林に歓喜の声響く。


 森林塾青水が活動する上ノ原のミズナラ林には、木馬道(きんまみち)と呼ばれる林内の散策路があります。薪炭林として使われていた昭和の高度経済成長期前まで、この道を使って、実際に木馬(きんま)で木材を運んでいたから、そんな名前が付いているのです。
 
 木馬道で材を運ぶには、まず緩い傾斜の坂道に等間隔で盤木(ばんぎ)という木を敷きます。鉄道の線路に枕木だけが並んでいる様子を思い浮かべると、近いイメージでしょう。その上を走るのが、木製のそりである木馬です。ここに丸太を載せて、下り坂を自重で滑り下ろして運ぶわけです。もちろん前に立つ引き手が、状況次第で棒で舵取りをしたりブレーキをかける必要がありますし、木馬が滑りやすいように盤木には菜種油を塗りながら進むなどの工夫もこらされていました。木馬は、山の多い日本で発達した独自の運材方法として、各地に広がっていたようですが、トラック輸送などと交代する形で姿を消していきました。
 
 9月24日(土)~25日(日)の定例活動「ミズナラ林の若返り伐採・木馬道再生」では、その木馬による運材を、みなかみ町藤原地区の古老の一人、阿部惣一郎さんの指導の下に再現することができました。もちろん、そんなことがすぐに実現できるとは、青水の誰もが思っていませんでした。直前の20日に開かれた幹事会でも、「木馬道の再生目標は10m」と話し合い、「将来は木馬を作って走らせたい」という願望が意見として出ていただけだったのです。
 
 ところが24日に上ノ原へ行くと、惣一郎さんはかつて自分が使っていた木馬を修理復元して、待っていてくれました。荷物として丸太を載せる時は、木口同士をかすがいで留め、全体をワイヤーロープで縛って、木馬に固定します。説明用に、そんな見本も用意されているという熱のこもりようでした。かっては木馬に、人の背丈ほども丸太を積み上げたそうですから、ほぼ1m(昔は3~4石は載せた(惣一郎さん談):重さで700~800kg)の材を一度に運んだようです。それだけ大量の材を載せるのは無理にしても、この木馬を見て「再生させた木馬道に、この木馬を走らせよう」という思いが、参加者15人の心に湧き起こってきました。



復元された木馬と運ぶ丸太の見本。後ろには炭焼き窯がある
業としてまず手掛けたのは、周囲のミズナラの木を伐採して玉切りし、長さ約1.2mの盤木を用意することと、それを敷く道を、唐鍬などを使って平らにならすことでした。そして、玉切りした丸太を樹皮付きのまま少し地面に埋め込み、周囲を踏み固めて、木馬道を少しずつ延ばしていきました。この時、惣一郎さんは「丸太の元(もと、根元に近い方)を道の谷側にして置くのが基本だ」と、何度も繰り返して話されました。丸太の元は、末(うら、梢に近い方)よりも数cm太いものです。もしも木馬が尻を振るように滑っても、盤木の谷側が少し高くなっていることで、木馬が木馬道から逸脱して谷に落ちるのを防ぐ効果が期待できるというわけです。

木馬道に再生のための地ならし


盤木の敷き方を説明する阿部惣一郎さん
  この日の空は雲が垂れ込め、上ノ原も霧に覆われていて、いつ雨が降り出すかと少し心配でした。しかし、おかげで暑すぎることもなく作業は比較的順調に進み、午後からの2時間余りで、目標を上回る約20mの木馬道の再生を果たし、雨の強まる前に作業を終えることができました。
 
 25日は、参加者が5人減って10人になりました。それでも、天候が回復して晴れ間ののぞく空の下、太すぎた一部の盤木を割って敷き直しつつ、さらに木馬道を延長させる作業を朝の9時から2時間余り続けました。2日目となって、だいぶ要領もつかめてきたためか、再生した木馬道はなんと約50mに達しました。


出来上がった木馬道50m
  すでに、修復復元された木馬は、朝一番で木馬道の最上部に運び上げてありました。そこに伐ったミズナラの丸太を載せ、前日に教わったようにかすがいやワイヤーロープを使って、荷崩れしないように縛りました。
 
 さあ、初めての試走です。引き手に選ばれたのは、一番の力持ちである北山郁人塾頭です。草野洋塾長をはじめとする他の参加者は押し手として、周りを取り囲みます。みんなが満身の力をかけた木馬は、下り坂をゆっくりと滑り出しました。「動く。動く」。ミズナラ林の中に参加者の歓喜の声がこだましました。木馬は、人が歩くよりも速いくらいの速度で、約40mの木馬道を無事に滑り降り一同からおもわず拍手が出ました。予想以上の出来栄えです。熱心に指導してくださった惣一郎さんが、「約40年ぶりに木馬が動いた」と笑顔で話してくれたのが、私たち参加者には最高の贈り物でした。


再生された木馬道を滑る木馬。歓喜の声が林内に響いた
 このミズナラ林の入り口には、森林塾青水と協力関係にあるNPO法人奥利根水源ネットワークが整備した炭焼き窯があります。木馬道をそこまで再生させれば、将来には炭焼き用の材の運搬に使えるかもしれません。この日、「数年かけて、あそこまで延ばしていこう」(草野塾長)という新しい目標が生まれました。


滑走を終えて鎮座する木馬と集合写真

                              米山記(写真、米山・清水・草野)

 

 

 



 

0 件のコメント:

コメントを投稿