2017年5月30日火曜日

お福分け 恵み育たぬ 春遅し


 森林塾青水の春の活動は、自然に恵みを少しだけ福(すそ)分してもらう山菜狩りである。1年8~9回の活動のうち茅場の作業が中心でないのは5月のこの活動と今年は9月に予定している諏訪神社例大祭、そして3月の地域イベントをお手伝いするキャンドルナイトである。この3つは藤原の風景や文化に触れる遊び色彩が強い。

今年は野焼きも雪に悩まされたが、藤原の春は2週間遅れている。ワラビも小さく、コシアブラやウワバミソウの生育も芳しくない。何とか間に合うのはコゴミ、イタドリ、ヨモギ、ギボウシであるが量が少ない。



 そんなわけで、「新緑の下、藤原の菜を楽しむ」と銘打って催した一般参加歓迎プログラムは、山菜はお預け、今回の宿、民宿「奈倉」のご主人の「あまり期待できない」との事前情報で新緑を楽しむプランに切り替えた。

 それでも、藤原は今、紫の藤の花が盛りであり、これも「天ぷら」にと採取。食べたことはないが豆科であるのでニセアカシアと同じであろうと試すことにした(結果は試食の段階まで行かなかった)
今年はフジの花が多く咲いている

トチノキも着花が多い


 上ノ原に着くと、沢山の車が停まり、人が茅場で動いている。ワラビ取りの人々である。これではお福分けも残っていないだろうと、昼食後、奈倉のご主人の案内で照葉峽と水源の森林に行くことにする。ひょっとしたらコシアブラが・・・。
野焼のあとのススキの芽吹き

 しかし、ここも季節は遅く、まだ残雪が多く山に入れない。ブナの芽吹きを眺め、照葉峽の数か所のビューポイントでとうとうと流れる雪解け水を見ながら帰ることにした。


 この時期の湯ノ小屋川は雪解け水が暴れるように流れる。これほどの水の量が見られるのは県道が開通してしばらくのこの時季しかない、ある意味ラッキーである。山に蓄えられた雪が気温の緩みと前日の雨で一気に流れ下っている。その音で回りの新緑も圧倒されている。今の時期の主役は水である。

思わず詠んだ一句  新緑の 騒ぎかき消す 水の音  
つづみの滝
渓流をバックに集合写真

 途中、「須田貝」集落の時が止まったような静かな佇まいを見て宿に帰る。

 気を使って宿のご主人がたくさんの山菜料理の擁していただきそれを堪能した後、車座講座。

 今夜の車座講座は、藤原地区で俳句を詠むグループ「とちのみ」のメンバーの木曽武子さんと林 美佐子においでいただき活動状況を語っていただく。会の句集を見ながら、会の発足のこと、俳句の作り方などを教えていただき最後にみんなで一句発句して披露することにした。その結果は、茅風通信で・・・。
お気に入りの1句に手を上げて投票

 次の日、早起きして上ノ原に行くと、すでに20人ほどの人がいる。ワラビ採りかと近づくと、網袋を持ちウツギなどの新葉を摘んでいる。「何をしているのか」と聞くと、「木の葉を採取して、発酵させ酵素を作る」とのこと、東京の会社の社員が早朝から集まって作業しているようだ。今はやりの健康食品の類らしいがどんな葉がいいのかと聞くと「新葉なら何でも」とのこと、おいおい、此処にはドクウツギもあるし、ヤマウルシもある、それらの見分けがつくのか聞くとまるで知らない様子。ただの葉を集めて健康食品を作る怪しい宗教集団か?これで作った健康食品を売るのかと少し懐疑的になるが余計な心配かも。これは共謀罪の対象になる?私はこんなものは買わない。
朝6時に新葉の採取?

その後、県道の側溝掃除の箇所を下見しておき、7時に早起きができた人9人は朝飯前の1時間、奉仕活動をしてもらった。

朝飯前の側溝整備

整備を終えて「要介護度ニ~ィ」

この日、谷川の一ノ倉のブナ林と雪渓を見るプログラムに変更することも考えたが、上ノ原の散策も捨てがたくそのまま昼食まで薫風の上ノ原で散策と岡田さんの野点を楽しんだ。
今回はカナダから一時帰国して参加されたW.Yさんが天然の存在感を出してみんなの人気者に・・・。
「カナダからラブレター(感想)」をとの私のリクエストを本気に取ってくれたろうか?

今回のプログアムは季節に見限られ、その場での変更を余儀なくされたがこれも自然の中の活動、それはそれで楽しいものとなった。プログラムの変更が可能なのも藤原にはたくさんのタカラがあるからで、無理せずに安全第一でやればよい。

帰りに、宿の主人にもらったコゴミとワラビと菜の花のお土産が「山菜狩り」の面目を保った。
                                                    草野記

 

2017年5月4日木曜日

今年の野焼きは雪との闘い=野焼顛末記=


 今年の野焼は429日、30日に行われました。昨年は80年ぶりの少雪で燃えすぎや飛び火など火との闘いでしたが、今年は一転、上ノ原は雪解けが遅く、残雪と不安定な天気との闘いでした【写真】。
雪解けが遅く、残雪が多い上ノ原
 
 
 
 従来通り機械除雪を行ったものの野焼面積が小さいことが予想されたため木粉炭融雪剤をまくなどの工夫(木粉炭の効果は実証されました【写真】)

融雪剤(木粉炭)を撒いたところは雪が融けている


をし、その後の気温上昇とお天道様の力に頼ったものの前日の28日に見た印象は「しょぼい野焼になるなー」でした。
 それでも野焼は茅場の保全に重要な作業、明日は、参加者58人(うち、エストニア国から外国人が3人、なによりも、今回は初参加者が23人もいる)、消防団や地元参加者を含めると75人がこの上ノ原に集う。何とかせねばとの思いが強くなりました。
 春になればただの水になるのに今は厄介な固形物の雪、藤原の人々の苦労とむなしさが今更ながら身に沁みます。この雪で、十郎太沢も隠れて落ち込む危険があるので沢周りにテープで標示する作業中に案の定2度ほど沢に転落する羽目に【写真】。

危険個所にテープ表示

 一度は人海戦術で除雪しようと試みましたが、効率が悪い。天気予報では、野焼本番の30日は、好天気だが、準備作業日の29日は降雨があるとのこと、除雪しても十分な乾きは期待できない。。
 除雪をしていると傾き始めた太陽の光を受けて照り輝く谷川岳が見られた。まるで氷河のようにぬめり輝いている。これだから上ノ原に来るのをやめられない。これもなにごとか(何者か)が造った風景【写真】。

一瞬見せた照り輝く谷川岳
 皆さんに楽しんでもらうプログラムとして今回はツイストパン(遊びパン)焼きをすることにしました。そのための炭火の野炉を2か所作り、その夜の夕食後に80人分のパン生地をつくりました。この作業は、藤岡夫妻に大活躍してもらいました【写真】。

前夜のパン生地づくり
 

 さて、翌日、不安的中、雲は低く気温も低い、不安定な天気になってしまいました。
 前夜、作ったパン生地が発酵しすぎないように雪の上に置いていたところ【写真】まんまとカラスの夫婦に20個ほど持っていかれました。
一人一個、丸めたパン生地


カラスの持っていかれて笑うしかない
 
藤岡夫妻はこの事態に落ち込んでいましたが稲さんからこのようなことは「御鳥喰式」といい、お供え物は「粢団子」(しどきだんご)といわれ安芸の宮島などで行われている大変めでたい神事とのこと。藤岡さんはそれに救われたようです。しかし、まだべとついていたパン生地、カラスさん喉に詰まりませんでしたか?

 参加者が集まり、昼食も終わり、はじまりの式と野焼きと一年の作業の安全を祈る「山の口開け」神事のあと、作業にかかろうとしたら雨が降ってきました。あまり強くはならない、短時間で止むとの一幸さんの観天望気を頼りに急遽、ツイストパンを焼いてもらうことにして、各自茅場に入りの野焼き区域を見てもらうとともに「おすすめはクロモジ、NGはヤマウルシ」との注意を聞いて、パン焼きに使う「木の棒」を取ってもらいました。
 みんなで炭火野炉を囲んでパン焼きで【写真】。やがて香ばしい香りが漂うようになると参加者の間に会話が生まれてきてにぎやかな状況になりました。狙い通りのコミュニケーションづくりになったようです。

区長さん、役場の課長も駆けつけていただきました


棒に着けて炭火で焼きます

こんがりキツネ色に、クロモジはいい香りがしました。


 その間もった天気も、作業に取り掛かろうとしたら強い雨、雷も鳴り始めたため、作業中止を決断、早めに宿に引き上げ、その後は宝川温泉などで時を過ごすことになりました。

 前夜は、初参加者のためにパワーポイントを使って塾の活動、野焼きの様子を上映、その後日付が変わるまでのお天気祭りが効いたのか、野焼本番の朝は天気は上々、気温も高く、早朝、上ノ原の現場調査では「昨日の雨の影響で乾きは充分でないものの着火時間を遅らしたら焼ける」と判断し、参加者には野焼面のススキを毛羽立てする作業をしてもらうことにしました。
 このことを4者協議で確認したのち、参加者に希望を聞き、毛羽立て、侵入木除去、茅場周辺散策の3班に分け、1時間半ほどの作業等に入りました【写真】。

毛羽立て作業

侵入木の除去

木馬道を散策


 作業が終わり、野焼きの開始は10時30分、今回は、可燃物の状況、周囲が残雪に囲まれていることから風上、斜面下部からの着火としました。
 ことしから新兵器が登場です。それは着火ガスバーナーと自前のジェットシューターです。これも東京ガス、セブンイレブンの助成金のおかげです【写真】。
ジェットシュター、名前は「ほたかくん」

 予想通り、可燃物も少なく、乾燥が十分でないため、迫力のない野焼となりましたが、Cブロックを約5000m2を焼き、野焼本来の目的は達成しました【写真】。

燃えはいまいちだが安全

ところによっては激しく
 
 
未黒野(すぐろの)
 初参加者には、イメージと違った野焼で欲求不満だったかも知れませんが何しろ茅場の保全作業は「自然との闘い」、いや、「折り合い」です。
こんな年もあります。残雪と天候に悩まされ気をもんだ野焼でした。

                                        草野記
 
  



総会セミナー「過疎の村と東京二拠点移住の可能性」

 森林塾青水は415日(土)、第16回総会に引き続き、講師に夏目啓一郎さんをお招きしてセミナーを開催しました。夏目さんは現在36歳で、映像技術会社勤務を経て2007年から映像(動画)を主とするフリーカメラマンとして活動中の方です。2年近く前に、私たち青水が活動する群馬県みなかみ町藤原地区へ、埼玉県さいたま市から家族(妻と息子)とともに移り住むとともに、ご本人は東京都府中市にも住居をかまえて東京での仕事もこなすという生活をされています。藤原を盛り立てているNPO法人奥利根水源地域ネットワークの活動にも参加し、「藤原の住人を増やしたい」と熱意を燃やす夏目さんに、得意の映像や写真、音楽を交えながら、実践中の2拠点移住の可能性をテーマに語っていただきました。

藤原の魅力を交えての体験談を語る夏目さん

冒頭から「移住が流行っていると、毎日のように聞く。でも、それは幻想だと思う」と夏目さんは切り出しました。男性はロマンを求めて前のめりになりがちなのに対し、女性は「買い物は、病院は、教育は、大丈夫なの?」と現実を見ているようです。移住という夢を抱いても、さまざまな現実の前に夢を打ち砕かれる人もいるでしょう。だから「いきなり冒険する必要はない」というのがアドバイスであり、体験に基づく一つの提案が2拠点居住なのだそうです。

 
人生では、自分の置かれている状況は大きく変わることがあります。災害の発生とか、親の介護への対応とか、子育ての悩みとか、いろいろと想定はできますが、拠点が二つあればうまく立場を切り替えることが可能になるかもしれません。夏目さんは「仕事は面白いし、収入も悪くない。マスコミ関係なので、それを東京以外でやるのは難しい。でも震災を経験して都市生活はハイリスクだと感じたし、子どもをのびのび育てたいという思いもあった」ということで、その活路を2拠点居住に見つけたわけです。妻子をみなかみ町藤原に構えた自宅にすまわせながら、ご自身は東京都府中市のセカンドハウスも使って生活しています。だいたい毎月2週間以上は仕事のため東京にいることが多いようですが、仕事がなければみなかみ町へ戻って、ご家族と過ごされています。
 
 みなかみ町での居住を決めたのは、①自然の豊かさと人の良さ、②交通アクセスの良さ、そして③家賃の安さ、だったとのこと。①は森林塾青水の活動を通して、私たちも同感ですね。動物が身近に見られる暮らしを「リアルサファリパーク」と呼んでおられました。②は上毛高原駅から上越新幹線が使えることで、大宮駅まで最短なら40分ほど、東京駅も1時間余りです。ただし、新幹線を使って都心に出ると在来線利用に比べて倍ほどの運賃・料金がかかります。そこでもっぱら新幹線乗車は高崎駅までにして、その先は在来線を使うという工夫をしているそうです。高崎から東京方面は、在来線の運行本数も多いので問題はないようです。③の家賃相場は、過疎地の藤原では都会に比べると、何分の一かという額です。夏目さんは3LDKの家(駐車場3台分+畑付き)を借りておられます。府中では亡くなったお祖母さんの家を安く借りており、2軒合わせても、さいたま市で住んでいた時の家賃に比べると格安なのだそうです。
 
 みなかみ町で暮らすようになり、本業のカメラマン以外に、スキー&スノボのインストラクター、カヌーガイド、キャンプインストラクター、尾瀬&苗場山ガイドなど、いろいろな仕事を経験されました。また「妻は民宿の手伝いやキャンプ場、スキー場の仕事をしてくれている」とのこと。通年雇用の仕事を得るのはなかなか難しいようですが、今では「一つの仕事を極めるより、いろいろな仕事をこなせるという生き方もある」と考えているそうです。結果的に収入は少し減ったそうですが、食費が安くつくことや、家族で遊びに行くコストがかからなくなった(遠出をせずに町内で遊べるし、特にリフトがほぼタダで乗れるので年間のリフト券代が浮いた、などが理由)ことで、家計の状況は変わっていないと話されました。
 
 もちろんデメリットと言えることもあります。貸家のリフォームにはドーンと費用負担がかかりました。屋根、床、壁、窓、畳などを修理するのに、業者に依頼したり友人の協力を得たりして作業を進める中で、コスト軽減のため電気配線は自分で張り直したとのこと。窓の2重サッシや流し台は業者を通さずにインターネットで探すと、半額くらいで買えたそうです。車は必要に迫られて1台から2台に増やし、除雪機(新品の十分の一以下の値段で中古を手に入れたものの、故障には泣かされたようです)も一家に1台が必需品なので購入せざるを得なかったようです。除雪には11-2時間を要するため、体力がないと暮らしていけない土地柄ですが、体力は「やっていれば勝手についてくる」というのが実感だそうです。このほか、東京との行き来にもコストと時間がかかります。でも、「デメリットを上回る体験をしている」と前向きに受け止めておられました。
 
 みなかみ町藤原の人口は現在約400人。夏目さん一家の後にも、2家族6人と独身者3人が移住してきているのですが、スキー場の従業員にも町外から通ってくる人が多く、もっと住人を増やすことが暮らしている立場からの大きな望みのようです。「もともとの藤原の人たちには、都会の人が面白いと思うことが感覚的に分からないようだ。でも移住者は、その感覚を持っているので観光客相手の仕事には向いているはず」と、移住者にはその強みを生かしてもらいたいと考えておられます。そのためには、まず都会から観光客に来てもらうこと。そして夏の客には冬の遊びを、冬の客には夏の遊びを提案し、リピーターを増やしていくこと。そのようにして藤原ファンを増やしながら、地元との交流や異業種と関わる機会に参加してもらい、移住者が移住者を呼び込むという循環を築くのが、これからに向けた展望だそうです。お話の中には、藤原やみなかみ町に対する有意義ないろいろな提案も含まれていました。
 
 こうした努力が実を結べば、青水塾頭の北山さんのようにどっぷり藤原に生活拠点を移す人も現れるでしょうし、夏目さんのような2拠点居住を選ぶ人も生まれるのかもしれません。藤原に新しい風を吹き込み、青水の活動にも協力してくださっている夏目さんを、ますます応援したい気持ちになりました。 
                            米山 記