2009年6月17日水曜日

芦ノ田越え古道橋完成!

6月17日についに芦ノ田越え古道の橋が完成しました。全長18mあまり、鉄パイプの手すりと足場板も取り付けられ、誰でも安心して渡れるようになりました。


また、古道の入り口には手作りの道標も立てられました。


2009年6月11日木曜日

奥日光の森を歩いて感じたこと

―痛々しい日光の自然!―

6月7日から2泊3日、湯の湖畔の休暇村(標高1486m)を拠点に奥日光の自然散策を楽しんできた。かねて念願の東大植物園(植栽2200種)を皮切りに戦場ヶ原、小田代原、西ノ湖から千住ケ浜、湯ノ湖から湯滝、お魚と森の観察園など、文字通り森あり川あり滝あり湿原ありの変化に富む自然のモザイクを観察させてもらった。
観光客に一番人気のクリンソウ(写真)はもとより、清楚なシロヤシオツツジや可憐なマイヅルソウたちにも出会えた。そして、何よりもハルニレやシウリザクラ、ヤチダモ、ドロノキなど日頃見られない樹種の森を歩くことが出来て嬉しかった。

でも途中から、ちょっと待てよと思わざるをえない光景に次々出会ってしまった。クリンソウの群生地は全てネットで囲われていたし、ハルニレやシウリザクラ、ヤチダモたちの根元も黒い網が巻かれていた(写真)。みんな悪名高い(?)シカの好物で、その食害対策だという。『保護林』の看板が立っている林内では特に目立った。どの森の看板にも「森の取り扱いは、人手を加えず自然の推移にゆだねていくことを原則にしている」とあった。人の手でネットを巻くことは、この原則に反しないのか。こうまでしないと保護できないのか。足元をネットで巻かれた樹々を見て、痛々しいと思わざるを得なかった。

そういえば、湯ノ湖西岸の遊歩道を歩いたとき幾筋もの獣道を見た。夜、水飲みに森と岸辺を往復するシカたちの通勤路(写真)がそれこそ縦横無尽に走っていた。
増えすぎた(と、人が考える)シカやサル、イノシシたちとどうしたら共生できるのか。

昨春、山形県高畠町で草木塔を見てきた。この5月、北海道黒松内町には獣魂碑があった。そして今回、日光では魚供養塔に出会った。いつ建立されたかは別にして、狩猟採集時代の昔から続く自然の恵みに対する感謝の気持ちに由来するものであろう。
フランスにはジビエという野獣料理があるそうだ。ただ駆除するだけでなく、感謝の心をもって有効に活用する。そんな方途はないものなのか・・・、など愚考した次第。


清水(09.6.11)記

2009年6月3日水曜日

黒松内町「北限のブナ林とフットパス」視察記

-ここにもいた環境キーパーソンとその後継者たち-

5月29日~31日、森林文化協会主催の野外セミナーに参加。3日間で、天然記念物のブナ林と変化に富んだ3本のフットパスを歩くこと約25㌔。地元の名ガイドに導かれ、11人の旅仲間とそれより多い町役場や町民ボランティアスタッフの大歓待をうけながらの楽しい学びの旅だった。それは、何もなかった寒村の「自然を生かした町おこし」20年の歴史を学ぶ旅でもあった。
ない物ねだりをしないで知恵を絞って生まれた「ブナ北限の里づくり」構想~歌才自然の家~ブナセンター~特産物加工センター~フットパスづくり~「にほんの里100選」入選。一貫した町興し施策が積み重ねられ、今や人口3千人の田舎町に年間15万人の観光客が訪れる。
成功の要因はいろいろあるだろう。たった3日間の見聞の範囲内で理解不足を承知で言えば、複数の環境キーパーソンの存在とその後継者の存在が大きかったのではないか。
初日歩いたチョポシナイ・コースのボランテイア案内人の中に前町長の谷口さんが混じっていた。その夜の地元歓迎会のホストで現町長の若見さんはかつての部下。2日間手弁当でお付き合いいただいた町のフットパスボランティア・リーダーの新川幸夫さんと町役場企画調整課でこの分野の仕事を黙々こなしている雅幸さんは親子。北海道はもとより日本のフットパス運動の第一人者小川巌さんとそのお手伝いをしながら自然体験エコツアーに取組んでいるご子息の浩一郎さん。もっと他にも、たくさんの人の輪の繋がりがあったことであろう。

フットパスづくりは道と道、集落と集落を繋ぐだけではなく、世代や出身地、職業、居住地域を超えた人と人の繋がりをつくり、襷を繋いでいくことでもあった。
我々森林塾青水は今年いよいよ、再生なった3本の峠道のフットパス地図づくりに取組む。どんな地図をどんな風につくるべきか。大いに参考になり、具体的イメージも湧いてきた。だが問題は、将来にわたって継続し活用していくべきキーパーソンとその後継者づくりではないか・・・。 清水、記

2009年5月20日水曜日

火入れ効果、歴然!

野焼きからおよそ1カ月たった5月17日。09年度第1回生き物調べ。


期待していた野焼き効果は写真で見る通り歴然だった。火入れをしたエリアは青々としているのに対し、雪の防火帯だったエリアはまだ枯れ葉色のまま。
火入れをした末黒野の大地に足を踏み入れると、早くも、ワラビやハンゴンソウなどの山菜類に加え、ミツバツチグリやセンボンヤリ、ツボスミレなど草原性の草花がたくましく成長し始めていた。野を焼くという人為的撹乱効果が確認されて嬉しいかぎりであった。
ところが、そのあと集合広場や水汲み場周辺でセイヨウタンポポの小集団に出くわしてしまった。昨年までは気づかなかった現象。これは不味いぜと思わざるをえなかった。言わば、マイナスの人為的インパクトだ。早く手を打たなければと、ちょいと焦ってしまう。「モニタリングサイト1000」に登録させてもらった我々のミッションは5年毎の人為的影響調査だ。5年後、プラス効果が出るようにしたいと思うが、さてどう考えれば良いものやら・・・。



十郎太沢沿いやあちこちの窪地にはニリンソウやヒトリシズカが群生していた。



目下、短期独身中の草野さんがそのヒトリシズカの群生を見ながら「一人じゃ暮らせぬヒトリシズカ」と再三つぶやいていたのが印象的な生き物調べだった。(´―`) 清水、記

2009年5月12日火曜日

「綾の照葉樹林プロジェクト」視察記

5月8日。綾南川にかかる照葉大吊橋。橋高142㍍、通潤橋の7倍。
眼下に、幾重にもぶあつく重なって広がる照葉樹の森を鳥瞰する。
見渡すかぎり、モコモコの緑の樹冠が初夏の陽に照り輝いている。まさに圧巻!

九州森林管理局、宮崎県、綾町、地元NPO「てるはの森の会」と
NACS‐Jが「世界自然遺産」登録を目指して取組み中の
「綾の照葉樹林プロジェクト」。50~100年後の森の姿を想定した
対象エリア約1万㌶におよぶ大構想だ。

吊橋前で名刺交換した九州森林管理局の歌野主席森林官と田中生態系管理指導官。
熱心にご案内いただいたお二人の眼の輝きと田中さんの肩書きに、
このプロジェクトにかける林野庁の意気込みを感じた。
スギを中心とした人工林から天然林への復元を目指すエリアは1895㌶で
全体の24㌫。100年間に4残2伐(植栽列の6列のうち4列を残す間伐方式)を
ボランタリー参加で3回行い、下種更新をもって順次復元を図っていく方針とのこと。

綾南川の渓谷沿いの小道を行くと簡素な佇まいキャンンプ場があって、その先に
営林署の製材所跡がひっそりと残っていた。そして、さらにその上に座す
川中神社までの一帯は既に、森林セラピー基地の認証を受けている、由。
川沿いには集落跡が点在し、道は当地・綾から今の小林市須木に通じていたという。
聞けば、『駄賃馬道(だちんばみち)』という塩の道であったそうな。

思えば、照葉樹の森は日本や東アジアの伝統文化の基層をなす重要な存在。
日本、台湾、東アジアにきり残っていない自然文化複合遺産みたいなものだ。
通潤橋は江戸時代の民が残した偉業。
この綾の森は官民が一体となって取組む平成のビックプロジェクト。
ずっと応援したい、と思った。

清水、記