2018年11月23日金曜日

自然の恵みに感謝 茅出&十日夜&山の口終い

 収穫の秋、みなかみ町藤原上ノ原には10月下旬にボランティアで刈った茅ボッチと村の茅刈衆(二人)が刈ったボッチおおよそ680基が立って(中には倒れて)茅出しを待っていた。
十分に乾いて運び出しを待つボッチ

 刈った茅を世に出し、屋根萱として商品にするための茅出しは重労働ではあるが茅に「第二の茅生」を与えるため大切な作業である。
 今年の茅出しは、11月17、18日、好天の中で9人が参加して行われた。雪の中で行うこともあるこの作業であるが今年は雪もなく茅ボッチの乾燥も十分である。
 その数、村の茅刈衆に約1か月かけて前日まで黙々とやっていただいたのが514ボッチ、茅刈合宿で74ボッチ、イベントでボランティアが刈ったのが80プラスαであるので680ボッチ(3,400束)があるはずである。
 これを、ビニールひもで縛り、穂先を持って、一回に2ボッチ、乾燥が良くて軽いものは4ボッチを道路まで引き出す。

穂先をもって曳きだす
ボランティアが刈ったボッチの約1/3が倒れ、これは湿っているので一つで2つ分ぐらいの重さである、倒れたボッチは品質も悪くなる、来年は倒れないような縛り方を徹底しなければならない。上り下りを何往復もするので相当な重労働である。この作業をしないと茅は世に出ない。
 今回の参加者は、すでに何度も経験しているので要領が良い、ボッチのある位置で上りにするか下りにするか判断する、もちろん下りが楽である。
 参加者が少なかったので、2日間で終わるか心配したが、全員奮闘の甲斐あって、1日目で約8割を搬出して、町田工業のダンプトラック1台に積み込み、送り出した。
嫁にやる気持ちで積み込み

 明日の見通しがついたところで、下山、途中、遊山館の前で十日夜の餅つきと「藁でっぽう」づくりをいっしょにやる。
すっかり好青年に成長したK君、薪割で鍛えているので腰つきが良い

藁でっぽう


 この夜は、陰暦10月10日、十日夜(とうかんや)である。稲刈りを終わって、田の神が山へ帰っていくのを送る行事、群馬,埼玉,山梨,長野県にかけて行われているようで、子供たちが藁の棒をもって土をたたいて(モグラをたたく)次の年の豊穣を祈る。子供たちにはお菓子がふるまわれる行事であり、北山さん達が40年ぶりに復活させた伝統行事であり、日本版ハローウインともいえるが渋谷でバカ騒ぎする幼稚な大人に見せたい行事である。
 その十日夜の子供たちが7時半ごろに宿の「樹林」にやってきて藁でっぽうを振り下ろしながら「とうかんや とうかんや あさそばきりにゃ ひるだんご よう(ゆう)めしくっちゃ ぶったたっけ」とはやし言葉を唱える。みんなが持参したお菓子が子供たちにふるまわれた。
とうかんや~ とうかんや 水玉は雪ではあ
りません

明日は山之口終い、茅出しの収穫作業にふさわし伝統行事が体験出来た。空には十日の月が雲間に見え隠れしていた。
 2日目は、昨日の残りの茅出し、昨日、はかどっているので2時間程度で終わると踏んでいたが1時間30分ほどで終了して、北山さんのキノコの種コマ打ちも手伝った。町田社長が、腰痛をおして、運転してきていただいたダンプに積み込んだ。


 看板を外して、全ての作業を終わり、「山之口終い」の神事を厳かに行い、収穫の恵みと今年1年の作業が安全に終わったことに感謝した。
十二様に感謝

茅出しメンバー

 この後、ご厚意に甘えて深津フミ子さんの畑で、大根、キャベツ、サトイモ、ヤーコンなどをたくさんいただいた。また、参加者には、林 幸雄さんから新米(ゆめぴりか)をいただいた。
もう一つの収穫作業

 今年も野焼から始まった茅場の作業は茅出しで終了、上ノ原はこの後、雪に埋もれる、今年の茅刈は古民家合宿でどうにか古民家1棟分の茅束を確保できたが上ノ原のキャパシティからするとその量は1/3である。
谷川岳バックにボッチのある風景

この時季の茅場とカラマツ林

                       

                                草野記

 

2018年11月4日日曜日

麗澤中1年生 上ノ原茅場で学びそして遊ぶ

 10月24日(水)柏市の学校法人麗澤中学・高等学校の中学1年生148人が「奥利根水源の森フィールドワーク」の学校行事で上ノ原を訪れました。
 生徒たちは23日に藤原入りし、藤原ダムサイトで地元の古老からダムの役割などを聞き、上ノ原に近いホテルに宿泊する二泊三日のフィールドワークです。
 前日は夜中に大雨が降り、当日も危ぶまれた天気ですが見事に回復して、紅葉は急速に進み真っ盛りとなりました。
 この日に備え、前日入りした、日光、新潟、東京、神奈川、千葉から集まったインストラクターたちは、下見と茅穂などの材料集めを行って受け入れに万全を期しています。
 今年のプログラムは、クラスが5組から4組になったことや昨年の反省点を踏まえ修正して臨みました。主な修正点は、プログラム全体に時間的余裕を持たせるため、開始時間を若干早め、「森林・草原散策」「草原と遊ぼう」の時間配分を増やしました。
 移動時間を少なくして見学目的を昔の「暮らしと知恵、茅の使われ方」に絞ったため諏訪神社の見学は取りやめ。また、昨年まで実施していた「茅編み」は事前の準備の負担軽減のため見送り、代わりに茅クラフト「茅ほうき」づくりを「草原で遊ぼう」に組み込みました。
 メニューは、「森林・草原散策」、「茅刈体験」「草原で遊ぼう」「雲越家見学」の4つ、このうち昨年から採用した「草原で遊ぼう」の内容は、「見えない森(目隠しトレイル)」「茅帚づくり」「茅飛ばし」「草原のハガキづくり」「きままに草原探索(特にメニュー化していないが)」を用意して生徒たちに自由に選ばせました。
 「見えない森」は目隠しをしてあらかじめ張ったロープを伝わってゴールを目指すものでスリル満点で弱者の立場も経験できるものです。「茅ほうきづくり」は、茅の穂を集めてミニチュア箒をつくります。最初は生徒たちに茅穂を集めさせる予定でしたが前日や当日インストラクター達が採穂しました。
 「草原のハガキづくり」は草原にある葉っぱや草花をハガキに張り、両親や友達にお便りして、みなかみのことを話題にしてもらう狙いがあります。
 生徒たちは、クラスが2つのグループに分かれ、同じメニューをインストラクターの指導のもと行っていきます。
 タイムスケジュールとメニュ-の関係は下記のとおりですが、学校側と当方の打ち合わせが不十分で上ノ原への到着時間がおくれため最初のクラスは森林・草原散策の時間を短縮しましたが、そのほかは天候に恵まれ、インストラクター達の機転もあっておおむね順調に進みました。
 中にはやんちゃなクラスや私語に夢中なグループあってインストラクターからおしかりを受けたこともありましたが、「未来からの留学生」である子供たちの貴重な体験のお手伝いをすることができました。インストラクターの皆様、先生方お疲れ様でした。プログラムの不備や改善すべき運営方法は今年の反省を反映させて進化させます。
     
前日の準備 茅穂の採取・加工

草原で遊ぼうの説明を聞く生徒たち

森林・草原散策 「ははその泉」で水源かん養の働きを実感
「昨夜頂上に降った雨は皆さんが21歳になったころここに湧いてくる」
 

2018麗澤FWプログラム

                                                                                                                        草野記

2018年11月3日土曜日

茅刈合宿 -カメムシと同居-

 前掲の茅刈の活動報告にも書いたように、今年の茅刈実績を上げる対策として茅刈合宿を行った。
 会員の稲さん、松澤さん、尾島さん、藤岡和子さん、それに私の5人は、茅刈が終わって参加者が帰った後、21日(日)の午後から23日(火)の午前中まで居残っての茅刈・ボッチづくりである(21日は藤岡貴司さんが夕方まで付き合ってくださった)。
 まずは、参加者を送った帰路、食料などの調達をした。
食料品のほかトイレットペーパーなどの生活用品は旧水上町湯原のスーパー、お米と野菜は地元農産物直売所でボッチ券で調達。茅刈を4時過ぎに終了して古民家へ、古民家には先住者がいた、たくさんのカメムシである、部屋の掃除と並行して、カメムシを刺激しないように布団の中などから取り除く。すべてを取り除くことはできないので同居することにする。この日から見つけると「カメちゃ~ん」と呼び掛けて遠慮いただくことが数えきれないくらい続いた。
 でもこのカメちゃん、行儀は良いようで人のそばには寄ってこない、寝ている布団や寝袋の中で見たことはない。
カメちゃんは色黒

カメちゃ~ん集団


 藤岡和子コック長、尾島副長の陣頭指揮で食事の支度、藤岡さんは手持ちの材料でユニークなメニューを手早く作る名人である。男性陣への指示も的確。男性陣は、炭火、ストーブの火おこし、盛り付けや後片付けを受け持つなどチームワークは抜群。 
 この古民家、お風呂が使えないのが難点、一日目は「たかね」の温泉風呂、二日目は湯の小屋温泉の旧葉留日野山荘の温泉を利用させてもらった。
 入浴後は、お楽しみの晩酌、疲れた体に缶ビールが沁みわたり、いろりを囲んで焼き物などを肴に話も弾み日本酒も進む。
煙の中の晩餐


 この日は十三夜、月明かりが差し込む中で、やがて就寝の時間。
合宿は寝袋持参である、備え付けの敷布団の上で寝袋に潜り込む、私は、最初、寝袋だけだったが持参の寝袋は50年前の年代物なので夜中に寒くなり掛け布団をかけた。
 冷えるはずである、あくる朝、初霜が降りた。朝飯を済ませ、昼食は古民家でのとることにして握り飯を用意する。握り飯がネズミに取られないようにして上ノ原へ。
 二日目は、一日中茅刈に集中できるので稼ぎ時である。
 ちなみに、合宿の費用は、個人負担がないように刈った茅の代金で支払う算段であり、できるだけ多くの茅ボッチをつくれば臨時ボーナスもあるはずである。
この日は、初霜で茅刈日和、昼頃には上ノ原のススキのタネを、山腹緑化の資材として利用できないか、友人の緑化技術者と種苗業者が訪れることになっている。
 一日中刈っているとさすがに疲れる。体全体が痛い、何かするたびに「どっこいしょ」が出る。 友人の緑化技術者は頼んでおいたサンマとともに昼頃に到着、私だけは茅刈を一時中断して、上ノ原と周辺を案内した。そのあとこの二人の刈ってみたいとの要望に茅刈を指導。
 この日の食事のメインはサンマの塩焼き、それも囲炉裏で炭焼きである。このほか藤岡料理長の鮮やか手さばきでおいしい料理が並び、飛び入りの緑化技術者を入れての晩餐。炭火焼のサンマの味は最高でお酒が進み、酔いで体の痛みを忘れて、この日も佳い月に見守られての就寝。

囲炉裏炭火焼サンマ

 三日目は、麗澤中FWの下見・準備作業に7人ほどのインストラクターが集まるので午前中のみの茅刈、宿は吉野屋なので古民家合宿は今日で終わり、もっと続けたいかと問われれば、このくらいがちょうどよいと答えるだろう。
作ったボッチは全部で64であった。
一緒に頑張ってくれた皆さん。お疲れ様、そしてカメちゃんお邪魔しました。
朝の光に輝く上ノ原

ボッチ群



                                          草野記

2018年11月1日木曜日

2018茅刈・ボッチづくり

 10月も中旬に入ったが藤原・上ノ原にはまだ初霜がない。やはり季節がおくれているようで紅葉もまだ緑色が多い。だが秋の日は移りが早く、一日一日と変わっていく。今回は藤原に20日から24日まで逗留したが、22日に初霜があり、紅葉は日ごとに赤や黄色が増して、24日には最盛期となった。こうして日々移り変わる紅葉を見れるのも逗留したおかげである。
 今年の茅刈は、20日、21日に参加者24人、地元指導者などを含めると30人が上ノ原で鎌をふるった。うれしいことに、みなかみ役場広報の効果もあって地元から4人が日帰り参加、そして2日目には藤原森の幼稚園「でこでこでん」の園児たちも
上ノ原茅場に遊びに来てくれて、ススキ草原で子供たちの歓声や泣き声が聞けました。
茅場に響く園児たちの歓声
今年の茅刈は茅束の生産量の確保のためひと工夫している。
 これまで村の古老達のご尽力で相当数の茅束を産出して、茅場から持ち出し生物多様性が保たれてきたが昨年から少なくなっており、それを何とかカバーするべく、昨年に続いて刈ったボッチ数に応じて「飲水思源地域通貨」を発行。
飲水思源地域通貨ボッチ券((地元直売所で通用)

 また、村の古老に変わりボランティアのチカラを発揮すべく、イベント終了後も一部の会員が居残り、古民家合宿した(その様子は別掲)。
 茅刈は、曇り空の中、始まりの式のあと、鎌研ぎ、雲越萬枝さんの指導で「茅刈講習」で抱え刈り、束の大きさ、束の結束の仕方、ボッチの立て方、ボッチの結束などを学んだあと、それぞれで刈り始めると茅場には、鳥の声、風がススキを揺らす音、ススキを抱える音、鎌の音、結束のむつかしさに出るため息は聞こえるが話し声はほとんどないほど一心不乱で取り組んでいる。

真剣に聞く

雲越萬枝さんの指導

一心不乱の茅刈

手が届かない

協力し合って

 

ボッチとミズナラ林

 途中、笛を鳴らさないと休憩も忘れてしまう。ボッチが姿よく立つと気持ちが良い。
 やがて茅場にボッチが次々と立って行った。
この日の宿は、食事がおいしいと評判の「とんち」。夕食後は、会員の藤岡和子さんによる「ネパール ムスタン トレッキング紀行記」のスライドショーである。秘境の風景や過酷な自然の中で明るく暮らすムスタンの人々の姿が彼女のユニークな目線でとらえられていた。
 2日目は天気も回復して紅葉もちょっと進んだ中で茅刈を続行、
皆さんに作ったボッチ数を自己申告してもらい、ボッチ券を渡して集計したところ78ボッチとなった。それにスタッフ等のボッチ数を入れると90ボッチにはなっているはずである。茅出しの際には正確な数字がわかる。
 汗の対価として得たボッチ券をもって立ち寄った藤原直売所は今年も大賑わいを呈したのはもちろんである。「汗が農産物に変わり、おいしい土産となる」

直売所の賑わい

 この日、みなかみ町エコパーク推進課の高田課長から上ノ原茅場が文化庁が指定する「ふるさと文化財の森」の候補地になっているとの話があった。文化財建造物の保存のために必要な原材料を安定的に供給するための森などを設定するもので、指定されれば上ノ原の知名度も上がり、塾の活動も評価されることになりうれしいことである。

                                         草野記
 

2018年9月24日月曜日

赤谷プロジェクト訪問 -深い森の中での壮大な実験-


今年度の新たな取り組みとして会員がいつものフィールドの外で自然環境保全活動を体験する場を作ることにしました。第1回目の玉原は、宿の都合で実現しませんでしたが、今回は、同じみなかみ町で、大規模に生物多様性の復元に取り組む全国的に知名度の高い赤谷プロジェクトを訪ねました。

「赤谷プロジェクト」は、群馬県みなかみ町北部、新潟県との県境に広がる、約1万ヘクタール(10km四方)の国有林「赤谷の森」を、地域住民で組織する「赤谷プロジェクト地域協議会」、(財)日本自然保護協会、林野庁関東森林管理局の3つのセクターが中核団体となって、協働して生物多様性の復元と持続的な地域づくりを進める取り組みですプロジェクトの正式な名称は「三国山地赤谷生物多様性復元計画」その名の通り、生物多様性復元のための意欲的で大規模なプロジェクトです
 
ここでは、最近、人工林を伐採してイヌワシの餌場確保する意欲的なプロジェクトジェクトを行っていることで話題となっています。上ノ原で茅場の保全を通じた生物多様性保全に取り組む当塾とは規模も学術的要素も桁違いのプロジェクトですが同じみなかみ町で取り組む大先輩プロジェクトを訪問して、学び、生物多様性保全活動の神髄を確かめようとの企画で、みなかみ町役場の小林さんのご尽力により実現しました。。
 
9月22日、12名が参加した今回の研修視察、幸いに天候にも恵まれみなかみ町旧新治村の猿ヶ京温泉の少し上流にあるプロジェクトのフィールドステーション「いきもの村」に着いたときは汗ばむほどでした。このステーション、私にとっては現場のにおいのする懐かしい雰囲気、旧苗畑の休憩小屋を再利用したもので思わず50年前にタイムスリップしてしまいました。
 

フィールドステーションでの森内所長の説明
 

真剣に耳を傾ける参加者
 ここで、休日にもかかわらず出勤いただいた森内赤谷森林ふれあい推進センター所長に赤谷プロジェクトの発足の経緯、体制、事業内容について説明いただきました。説明は、各種の課題と目的そしてこれまでの成果が素人にもわかりやすいものでした。
 
中でも「イヌワシ狩場創出試験」はこれまでにない意欲的な取り組みで、人工林の皆伐によりイヌワシが狩りをする場所を確保するというもので子育ても10年ぶりに2年連続で成功しているとのこと。伐採から3年、植生の回復状況もモニタリングされており途中経過でも森林の自然再生という観点からも興味深いものでした。閉鎖的になったスギ人工林を皆伐して、自然植生を増やし野ウサギなどの小動物の餌場や生息環境を改善し、それがイヌワシの餌場、生息環境を改善するという食物連鎖の再創出です。これには植生、鳥類などの専門家が携わっており、科学的知見に基づく取り組みです。 これが継続され、各地に応用されれば、食物連鎖の頂点のイヌワシも含めた生物多様性の保全に貢献することでしょう。
考えてみると、林業が盛んな頃はこのような皆伐地が適当にあって餌場も確保されていたのでしょう。この試験は、林業再生の取り組みでもあると感じました(もちろん計画的で適正な施業が前提ですが)。
そのあと、森内所長の案内で、「囲い罠」を見せてもらいました。鉱塩で慣れさせたシカを柵の中に誘い込むいう手法でシカを集団でとらえ頭数調整を行うもの、増えつつあるシカから森林や下層植生を守るものですが生物多様性保全とは生物をただ守ればいいというものでなく、時にはこのような駆除も必要なのです。

シカを誘い込む囲い
この後、一行は、川古温泉を通過して三国山地の赤谷川の奥に分け入りました。そこではイヌワシ狩場創出試験地の伐採跡地を見せてもらい、植生の回復状態を実際に確認できました。
ほとんどの参加者が深い森で、二次林や人工林もありますが自然林もあって豊かで、少し恐怖も覚えるような森林に入るのは初めての経験です。
奥深い赤谷の山々
 
そこで行われている数々の取り組みを知り、赤谷の森の豊かさを実感し、このプロジェクトが関係者の努力で期待どおりの成果が上がるであろうと確信しました。

狩場創出試験地の植生回復状況
 
貴重な体験が終わって
この日の宿は、猿ヶ京温泉の農家民宿「はしば」、とても良い雰囲気でかけ流し温泉を満喫しました。
猿ヶ京の田園風景を早朝散歩
 
 
 2日目は、猿ヶ京の見どころの見学、与謝野晶子紀行文学館では気品のある館長さんの与謝野晶子への敬愛と情熱を感じる解説を聞き、文学の世界に浸りました。その後、木造の旧猿ヶ京小学校(現在は宿泊施設として利用)最後に、たくみの里を視察して今回の行程を終えました。
 

旧猿ヶ京小学校で野点
 
 

赤谷の森で見つけたマタタビの果実


旧猿ヶ京小学校校庭のヤマボウシ

                                 
                                                                             草野記
 
 
 

2018年9月16日日曜日

トチもちづくりに挑戦-参加者からの報告-


9月1日、2日とミズナラ林整備に参加された伊賀さんからのトチもちづくり体験談です。
 
 トチ団子が出来たのでご報告します。
前回、藤原で拾ったトチのみ5個を持ち帰り、二日くらい後から灰汁抜きをはじめました。
その工程は、下記です。
●まず、トチの実をよく洗い、1日干水につけてから茹でる
●茹でたトチの実の鬼皮を取る。(ちょっと困難)
●黄色い中身だけにして、それから灰汁を抜き始める。あく抜きの作業は簡単明瞭、ひたすら水につける だけ。重曹も使わなかった。
●終日はおろか、夜中も外出中も炊事場の洗面器にトチノ実を入れて、水道の水を細く出し続けてそのままにする、だけです。夜もトロトロトロ……と水道の水の音を聞きながら眠ります。
 そろそろかな、と思ったら、トチノ実を半分に切って、中身を包丁で薄く切って味見をします。(とちの実の灰汁はたぶん外から抜けるから、中身をしっかり吟味します)
 せっかくの山の味だから、苦みが全くなくなってしまっては面白くない。ワラビでもツクシでも山菜と苦みは表裏一体です。「ちょうといい苦みはどのへんかなあ……」
 そして、「そうだ、今日こそ水から引き上げて団子にすべきだ」と判断しました。
 頃は間もなくお月見の季節。丁度いいのでお月見団子を作ることにしました。
食料備蓄引き出しに団子粉があったので、それと混ぜてお月見団子を作る……。トチの実は歯ごたえも残った方がいいかなあと思い、フードプロセッサーに10秒ほどかけるだけにしました。ナッツ入りのクッキーを連想しながら。
……ここで何故か文章が全部消え、嫌になって書くのを止めました。次の日、今日ですが、また思い直して続きを書いています。……
 続きです。後は団子粉150グラムに砂糖と栃の実を加え、沸騰した湯にはなして、浮き上がったら冷水に掬い取るだけ。お団子が10個出来ました。名古屋ではお月見団子は芋型にしますけど、まだ正式なお月見ではないので、全部丸型です。味は……、これが問題。ちょっと堅い。ナッツ入りのクッキーのつもりが、ガラス粉入りのお団子になっちゃった。
 反省点を如何に纏めます。

①トチの実をもっと長く茹でれば柔らかくなったろうか。今度作る時はもっとずっと長く茹でてみよう。そのほうが鬼皮も柔らかくなるだろうし。

②とちの実は、やはりプロセッサーではなく、粉にした方がいいかな。ガラスみたいに硬くてはね。

③期待していたトチノ実の上品なはずの味が、無い。灰汁抜きとの関係かも知れないけど、あく抜きが長すぎたのだろうか?

④その割には渋みだけは残っている。苦みは消えたのに、舌に残る渋みが気にかかる。

苦みを残して渋みだけを取る方法はないものだろうか?
 以上でした。で、この次またやるかって? 多分――ですが、またやってみたくなると思います。


写真は下記から借用しましたので伊賀さんが奮闘されたものとは違います
         http://www.geocities.jp/kinomemocho/sanpo_tochinomi.html 

                                            草野







 

2018年9月7日金曜日

for rest(休息のために) = forest(森)を感じて


 『ミズナラ林遊歩道整備と諏訪神社大祭』、この事業計画発表の時から参加を決めていました。酷暑の夏が過ぎ、高原の風はやはり涼しく心地良いものでした。

 1日目は、ミズナラ林の遊歩道作りと樹木への名札付けでした。名札班の私は3名の方と共に林に入りました。林を一見して、種数の多い林という第一印象でした。

 高木は、ミズナラ、アカイタヤ、トチノキ、ホオノキ、ハリギリなどが占め、亜高木と呼べる階層には、高木層にある樹種に加えてミズキ、タムシバ等が、低木にはさらにマユミ、コマユミ、オオカメノキ、オオバクロモジ、ヤマウルシ、つる性のツタウルシ、ヤマブドウなど、林床には、ササ類や低木層の幼樹がよく繁茂する広葉落葉樹林です。

私がよく入る日本海側雪国の森と頭の中で比べていました。しかし、この標高で当然あると思っていたブナやその下部のユキツバキが全くありません。また、常緑性の地這性低木であるエゾユズリハやヒメモチ、ツルシキミなども見えません。かなりの積雪があるのに、近くの国境を越えるとこうも違うのに驚きです。

名札付けは楽しい作業でした。ご一緒の方々と「この木の名は○○だ、いや△△だ」などと言いながら、写真を撮ったり、木登りしたりして名札を結びました。時には木から落ちることもあり、少々傷だらけの身体となりましたが、樹木名を思い出したり、教えてもらい勉強になりました。

他の8名の皆さんは、遊歩道(木馬道)作りと座観の場作りでした。“座観”について、はじめに塾長から説明がありました。「林は、歩くことと共に、時には座して休みながら景色を眺め、それぞれが異なる独自の構図を頭の中に描く、そのための大切な場所でなんだ」と。伐採した丸太を数本広場に横たえ座る場とするものでした。

座観式庭園というものがあるそうです。室町時代頃に興った、書院や座敷から座観鑑賞するための比較的狭い庭園だそうです。森や林は何のための場所か?“休むための=for rest”つまり”forest=森“です。森に座して景色を眺める者に潤いや安らぎ、休息を与える空間として座観場所は大切なものなんですね。

2日目は、朝、ススキ草原を散策しました。清水さんから「草木塔」を案内していただきました。その謂れを説明していただき、大いに感動しました。私のよく行く山中では馬頭観世音などにはよく出会いますが、草木塔は知りませんでした。
 

それは、草木に感謝し、その成長を願って建立されたと伝えられる石碑のことだそうです。その昔、米沢藩の江戸屋敷が焼失し、その再建のために米沢の山林が伐採され、また、現在の米沢市で大火があり、その復興のために米沢の山林が伐採されたことに対する感謝の念がきっかけとなったとされているようです。国内で160基以上確認されており、その9割が山形県内置賜地方にあるとのことです。“自然と人間との共生”忘れがちな精神です。

10時頃より諏訪神社例大祭を見学(参加)しました。神事後に藤原地区総出で神社境内に集まり、獅子舞や演芸を楽しんでいます。担当地区の役員から御神酒、ビールやおでんが振舞われ、秋の収穫を待つ一時の休暇なのだろうか、見学する集落の人達の楽しそうな顔が印象的でした。

この大祭は、祭り担当の方から聞いた話ですが、通常は毎年8月17日に行われるらしいです。上区、中区、下区が3年に一度の当番で、3年もすると獅子舞を忘れてしまうので、3週間前から夜に練習してきたとのことです。祭りは建久2年6月から続くものだそうで、建久3年には源頼朝が鎌倉幕府を開いているので、鎌倉時代初期から818年も受け継がれてきたものです。国久保、日本懸り、耶魔懸り、吉利と4つの獅子舞があり、だんだん踊る時間が長くなり、最後の吉利は2時間位も踊り続けるとのことです。

 

昼過ぎ、遠くに祭りの囃子を聞きながら藤原地区を後にしました。2日間、とても楽しい体験でした。いろいろ教えていただいた青水塾の皆様に感謝申し上げ、また訪れることを誓いました。
 
 
            奥野正春さんの参加の感想です(草野)