2011年4月19日火曜日

2011年度の野焼き顛末記

鎮魂と復興の火入れ
2011年度の青水オープニングイベントである8回目の野焼きが4月17日実施された。今年は3月11日に発生した東日本大震災と福島第1原発事故の「被災者への鎮魂と一日も早い復興を祈る」として臨んだ。ちなみに、みなかみ町そして地元藤原にもいわき市等から30数名の被災者の方が避難しておられます。
除雪隊の奮闘
2月の打合せの折、今年の野焼きは3ブロックのうち管理道下のCは休閑地としてAとBとするが特に十郎太沢南側管理道上のBを重点的に実施することを申し合わせて除雪をやっていただいた(野焼き実施図)。

ところが3月になって何度か積雪があり除雪開始時でも120~180cmもあり例年より50~100cmも多い状況、2名の除雪隊のご奮闘もあって約1週間の乾燥期間を含めてどうにか間に合いました。前日、現地の状態を確認し実施可能と判断して準備にかかりました。それにしても積雪の多さと除雪の苦労がしのばれる雪山の高さである(写真①)が安全・安心の野焼きを保証する雪の壁である。

自然には勝てない順延やむなし 
前日はもちろん当日も天気上々で実施を疑うこともなく行った準備作業は汗をかくほど。しかし、参加者が集まる直前の10時半頃から青空はにわかに雨雲に覆われ、ついに冷たい雨も降りだし気温4度、湿度70%となった。試しに着火しても燃えない、延期を覚悟して参加者の到着を待ちました。 11時30分、地元・役場・森林管理署・青水の4者協議で明日に延期と決定。 この日はオープニングセレモニーと十二様に入山のお許しと今年一年の作業の安全を祈って山の口開き神事を行い(写真②)、1時間ほどの除伐を行って、早目に宿に帰ることとしました。その後、塾で契約予定の古民家を視察するなどして過ごした。


あきらめないぞと野焼き再挑戦
 この日は朝から快晴。現地を確認すると茅は濡れているが適当に風もあり数時間をかければ十分に乾燥して実行可能と判断。むしろ延焼の心配は吹き飛び安全作業が出来ると確信し準備に。 9時半に4者協議、実行可能だが出来る限り乾燥時間を持つこととし、列車の時間から逆算して13時ごろ着火、14時前に鎮火とすれば10時から実施方法の説明や野焼き講習会、11時半昼食の段取りと決定。 10時半頃に野焼き講習会等を終了し、その後の時間をどう過ごすか思案していたところ親男さんからエクスカーションを提案していただきほとんど全員が参加して有意義な時間となりました。 燃え上れ鎮魂と復興の炎 13時、茅が十分乾燥していることを確認。この時の気象条件は、気温15度、湿度30%、風力4~5m、風向南、参加者はA,Bの2班に別れて野焼き開始。この日の参加者は35名、地元及び役場ほかの応援部隊12名、見学者・写真撮影など12名、それに消防団8名の方が火防巡視で立ち寄っていただき総勢67名が上ノ原で鎮魂と復興の野焼きの炎に願いを託しました。 13時10分 A班が着火し、続いてB班も着火、白い雪と青空に灰色の煙とオレンジの炎が上がり、パチパチと勢い良く燃え始めた。 延焼の心配ないこともあり本来は斜面上側から着火すべきであるが今回は下側からの着火も可としたことから勢い良く炎が上がる。火消し棒やジェットシュータ、スコップは用なしであった。(写真③)

30分後には火と煙と茅原の燃え跡が広がり雪原と青空をバックにした上ノ原の野焼きらしい光景がよみがえった。まさに、「雪間を焼く」である(写真④)。

約1時間が経った13時50分ごろ予定した箇所を焼き尽くしたことから、広場に引き上げ異常ないことを確認。13時55分に鎮火宣言。  その後、終わりの会を行った後、無事終了の印である黄、青の班旗が赤の本部旗の下に立てられ雪山に全員が集まり集合写真を撮って解散した(写真⑤)。

暮らしの中の風景の復活

今、東北では今回の大震災や原発事故では家族や暮らしが分断され当たり前に営々と続けてきた春の農作業も出来ない状態が続いています。そこはこれまでの人々が暮らしの中で築き上げてきた自然・文化も消滅したかのような変わり果てた風景になっています。上ノ原の人々の暮らしの中にあった風景である野焼きを復活させて8年目、無事に所期の目的を達成したことに安堵するとともに続けることが出来たことの幸せと支えてくれた人々への感謝を痛感する二日間でありました。被災者の皆様の暮らしの安寧が一日も早く訪れることを心からお祈り申し上げます。皆さま有難うございました。                       文責 塾頭 草野 洋
上毛新聞掲載記事

2011年2月6日日曜日

『飲水思源』の里帰り

森林塾青水が発足の当初から合言葉としている『飲水思源』。井戸を掘ってくれた人の恩を忘れてはいけないという昔の訓え。現代流にいえば「水道の蛇口をひねって水を飲んだら、その先の水源の森やダムに思いをはせ感謝すべし」ということ。元をただせば、北周時代の詩人・癒信の詞「その実を落とす者はその樹を思い、その流れに飲む者はその源を思う」に基づく故事成語の由。
その『飲水思源』の4文字をあしらったエコバックの在庫はないか、と早稲田環境塾・吉川プログラムオフイサーから問い合わせが入った。1月28日開催の「中国環境問題研究会」の招聘講師・陳金陵女史(中国環境報社)にお礼の印としてお渡ししたいとの思し召し。昨秋、当塾10周年記念に作成した在庫が残っていたので持参し贈呈申上げた。
後日、空港まで陳女史を見送った吉川さんから「陳さんは大変お喜びになり早速、荷物を入れて肩に担いでお帰りになりました」とのお知らせ。
かくして、残りものに福来りて、中国渡来の『飲水思源』が里帰りとなった次第。因みに、陳さんのご出身は南京、勤務先は北京。そして、癒信の生きた北周の都は長安(現在の西安)。勿論、陳さんが『飲水思源』に出会ったのは東京である。

2011.2.3(清水、記)

2011年1月31日月曜日

第10回沼田眞賞授賞式・記念講演会報告

日本自然保護協会(NACS-J)
第10回沼田眞賞授賞式・記念講演会


 ご承知の通り、森林塾青水はNACS-Jの本年度(第10回)沼田眞賞を受賞しました。「茅場の再生と活用による文化と生物の多様性保全」が授賞理由で、去る1月22日(土)の午後、東京都江東区の清澄庭園・大正記念館で授賞式と記念講演会が開催されました。約百名の来場があり、本会からも清水塾長はもちろんのこと、原、安楽、笹岡の各顧問をはじめ会員約20名が出席し、結成10年を経た青水にとって思い出に残る式典となりました。その概要を紹介します。
 授賞式ではNACS-Jの田畑理事長の挨拶に続いて、亀山選考委員長が選考理由を述べた後、沼田賞が授与されました。受章者は本会の他、佐々木克之氏、NPO法人「こんぶくろ池自然の森」の二団体・一個人で、清水塾長は壇上にて田畑理事長より、賞状と副賞のデジタルカメラの授与を受けました。


 続いての記念講演では、塾長が“「飲水思源」元・入会山の再生と活用‐活動の報告と今後の課題について‐”と題して、約一時間講演しました。


 塾長は青水の活動について、〈飲水思源〉〈入会〉〈草地・草原〉〈今日的利用〉〈流域コモンズ〉の五つのキイワードを提示し、フィールドである藤原の位置と環境を紹介した上で、10年にわたる茅場を中心にした活動について報告しました。そして、今日的課題である生物多様性の問題について、これまでの体験から、○命のつながりの多様性 ○人と自然のつながりの多様性 ○地域とのつながりの多様性 ○死なばもろともの世界 として捉えていることを披露しました。最後に、これからの10年に向けて、次世代の担い手の確保などの諸課題に触れ、さらに茅の利活用、都心・フィールド間の交通、事務局スタッフの拡充という具体的問題についても報告し、来場者に協力を呼びかけて講演を終えました。限られた時間の中であり、清水塾長が「語りそびれたこと」もありました。その部分については別項をご覧ください。 
 
他の受賞者の記念講演について、次に紹介します。佐々木克之氏は「河川から沿岸・干潟にいたる物質循環の研究と自然保護への貢献」が授賞理由です。佐々木氏は三河湾一色干潟での研究をもとに、干潟が有機物を分解し、窒素やリンを減らすことを量的に明らかにし、三番瀬の埋め立てや諫早湾の問題について重要な提言を行ってきました。講演では、シロザケとサクラマスの放流について、両者は生態が異なることから、ダムが建設されると、サクラマスは放流を続けても減少してしまうことや、浚渫土砂や産廃の埋め立てが沿岸漁業の衰退を招いていることに言及し、「持続的な開発」よりも「持続的な利用」が大切であるとする沼田眞さんの言葉を紹介し、講演を終えました。
 
NPO法人「こんぶくろ池自然の森」は「こんぶくろ池湿地の調査・保全活動を通じた自然博物公園の実現」が授賞理由です。森和成会長が「こんぶくろ池自然博物公園」の自然と保全活動、今後の課題について講演しました。「こんぶくろ池自然博物公園」は千葉県柏市にあり、広さは18.6ヘクタール。湧水による二つの池と里山を中心に、多様な動植物が生息しています。しかし、五年前までは大量のゴミが不法投棄され、人も寄りつかなかったということです。そんな状況から同法人の取り組みが始まり、今では産官学民の連携による公園整備め保全活動が取り組まれています。しかし課題はたくさんあり、今回の受章を契機に、さらに多くの人々に理解と協力を呼びかけていきたいとのことでした。
 
記念講演終了後は、主催者と授賞関係者との懇親会が開かれ、相互に交流を深める機会ともなりました。 (幹事 稲)

2011年1月27日木曜日

雪のアート作品:藤原は墨絵の世界でした

「沼田賞」受賞式の翌1月23日から2泊3日、雪の藤原で骨休めをしてきた。昼間はかんじき雪原トレッキング、あとは読書と温泉三昧。
宿をとった湯ノ小屋集落は海抜830~850㍍。もちろん、一面の銀世界。窓外の景色はまるで墨絵の世界。
貯木場跡の十二神社(山の神)の鳥居が、もう少しで雪に埋まる程度の積雪。
脇に立っている人物の身長からして、積雪は170~180㎝位か。
24日午前10時の気温はマイナス4度。さらさらの粉雪(パウダースノウ)が降りやんだ晴れ間、湯ノ小屋川の表情に思わず見惚れた。
天然自然の造形美というべきか。雪のアート作品に美の極致を見る思いだった。日のあたる雪原の斜面に目をやると、黒い点のようなものが蠢いていた。ルーペで覗いてみると、ほのかに緑かかった雪虫くん(?)
春とまちがえて、どこかの穴から這い出てきたのか。
日がな一日何もしないでも飽きることのない雪の藤原。明日の元気をいただいた。感謝。

2011.1.26(清水)

「沼田真賞」受賞記念講演で語りそびれたこと

-『上ノ原の善玉キーストーン種になります』宣言-

2011年1月22日、「日本自然保護協会沼田真賞」(第10回)を当塾が受賞することになった。「茅場という二次草原を文化と生物の多様性の両面から再評価し、流域ネットワークを通じて保全する先駆的・モデル的活動」との過分なるご評価。個人的にも大恩ある沼田先生。しかも、我が国における草地生態学の地平を切り拓いた先生の名を冠した賞を、ずばり草地再生というテーマでいただいた。二重の喜びにて、少しばかりはご恩返しが出来たかと真に嬉しいかぎりであった。
記念講演をやれといわれて驚いたが、ご恩返しのつもりで演題を「『飲水思源』元・入会山の再生と活用」とし、塾の活動実績ならびに課題の報告を申上げ、併せて今後のご指導ご支援をお願いした。
キーワードを飲水思源、入会、草地・草原、今日的利用、流域コモンズの5つにして話した。初めてパワーポイントなる文明の利器を使ったせいか、力(りき!)が入りすぎて時間配分をミス。後半飛ばし過ぎて、大事なことを喋り漏らした。「我々は、少なくとも上ノ原というフイールドでは善玉キーストーン種としてあり続けたい」ということ。かつて里山において先人たちがそうであったように、ススキ草原とミズナラ二次林からなる上ノ原「入会の森」を賢く利用し、草木や動物たちにとっても住みよい生態系を保っていく。その要石になる、という覚悟だ。
その思いを込めた書初め
をせっかく持参したのに、我々の考える生物多様性の意味を述べただけで、この肝心の要石宣言をし損ねた。悔しいので、この場をかりてあらためて善玉キーストーン種宣言をさせていただく。人と生き物が入り会うコモンズ村ふじわら、万歳! 
2011.1.26(清水)