今年第一回目の楽習会(流域連携)は、みなかみ町と武尊山を介して隣接する群馬県川場村で実施された「茅葺き屋根づくり」への視察参加という形で開催し、青水より計8名の会員会友が参加しました。
新幹線の上毛高原駅とJR在来線の後閑駅に集合した参加者は、それぞれレンタカーに乗合せ、まず道の駅・川場田園プラザへ。関東有数の規模を誇る道の駅で、物産センターをのぞくと地元産の農産物が都会のスーパーの半値以下で販売されていました。明日も立ち寄ることができればいいなと思いつつ、ここで昼食をとり北山塾長と待ち合わせ、宿泊する民宿「富士見荘」に車を置いて身支度をし、すぐ先にある集合場所の古民家へと徒歩で向かいました。
今回、青水が視察参加する「茅葺き屋根つくり」は、川場村の世田谷区民健康村が主催する行事です。川場村は昭和56年に東京都世田谷区と「区民健康村相互協力に関する協定」を締結し、世田谷区との交流事業を進めてきましたが、その一環である里山塾・専科コースとして実施されているものです。
開塾式で、里山塾の宮林茂幸校長、古民家の専門家である石井榮一講師が挨拶した後、「かやぶき五十嵐」の職人さんの指導で作業が始まりました。
作業場所は立派な茅葺きの古民家の前庭ですが、今回屋根を葺くのは庭を挟んだ南西側に建つ元水車小屋であった建物です。屋根周りに単管で足場が組まれ、これまで里山塾の開講に合せて数年がかりで作業が進められてきたとのことです。すでに屋根の上部まで茅が葺れ棟を載せるまであと少しというところです。
初日は、五十嵐棟梁の指導で屋根に載せる「切り茅」づくりの作業を行いました。径十センチ程の茅の束を持って余分な枝葉を取り除いてから、切り口から1メートル程度のところで裁断機で切り、茅の下部と上部を適当に混ぜながら切断面を揃えた上で縄で縛るという作業です。全員で40束ほどの切り茅をつくりました。
曲がった茅が混じっていることもあるので、まっすぐ揃った切り茅をつくるのは大変です。普通のススキは株立ちのため、茅刈りの際は地面からある程度離れた位置で刈らないと、下が曲がった茅になってしまいます。上ノ原のススキは株立ちではないのでそんな心配は余りありませんが、茅はまっすぐでなければならないことを痛感しました。
一日目の作業は4時に終了。続いて別会場の中野ビレジの屋根付広場で行われた講義に参加しました。講義は「茅葺き屋根の構造&屋根屋の苦労話」と題し、石井講師が五十嵐棟梁の仕事を紹介しながら棟梁に質問するという形式で進められました。これまでの数々の仕事の中には、藤原の諏訪神社舞殿や、昨年の楽習会で視察した秩父市寺尾の諏訪神社も含まれていました。また、古代の葺き方である穂先を下にした逆葺きの仕事を依頼されたこともあったとのことですが、この方が雨水が自然に切れるそうで、昔の方が自然に無理なく素材を使っていたのではないかという話もいただきました。
寺尾の諏訪神社は数年前に葺き替えたとのことでしたが、昨年視察した際は既に大分傷みが進んでいる感じがしました。その理由は寺尾の諏訪神社は麦から葺きであるためで、耐久性はススキの三分の一程度しかないとのことです。それでも麦からで葺くのはススキが手に入らないことと、身近にある材料で完結するのが、萱葺き本来のあり方であるからとのことでした。茅葺きは殆どススキと思っていましたが、目からウロコの話でした。
宿泊した富士見荘の晩御飯は庭先でのバーベキュー。特別メニューも振舞われ、みんなでいただきました。
二日目は九時過ぎに現場に集合し、みのがや作りの作業を行いました。これは、二メートル四方に茅を麻縄で編んでいく作業で、四人一組で作業します。縄を編むのは二人で、それぞれ左右二か所ずつ麻縄で茅を編み込んでいきます。残りの二人は、編み手に10本程度の茅を手渡していきます。余計な枝葉は千歯扱きを使って落としました。
四人の息が合わなければ効率よく進みませんが、あまり急ぎ過ぎると編む個所がずれたり、真ん中だけ膨らんだりします。均等に編み込んでいくためには、両端は緩めに編むのがコツのようです。 みのがやは棟の下まで葺いた茅を押さえる形で載せるため、中央部分が柔らかくないと上手く乗りません。そのために木づちや地固め器で中央部を打ち付け柔らかくしますが、これはかなりの重労働でした。みのがやは世田谷区の次大夫堀公園の古民家で使用する分を含めて四枚出来上がりました。
昼食を挟んで2時半ごろまで作業は続きました。棟作りに入るまであと一歩のところまで茅葺き作業も進んだようです。最後にスタッフが小屋にシートをかけて今回のすべての作業を修了しました。お疲れ様でした。 青水の一行はこの後、田園プラザで買い物をして解散となりました。
(稲記)
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