2019年6月25日火曜日

本多静六博士の功績を訪ねての学習会に参加して


今回の下流圏会員親睦学習会に参加した草野の感想です。

本多静六博士は、1952年(昭和27年)に85才でお亡くなりになっているので、住む場所は遠く離れているが私は博士と同じ空気をしばらくは吸っていたことになる。

本多静六博士
 
   林学の祖として尊敬してやまない博士のことは高校時代「育林」の授業の中で、恩師から「赤松亡国論」の主張者として教えられて、森林や林業への探究心が芽生えた当時の私の脳裏に強烈な印象として残り、いつか博士の功績に触れてみたいと思っていて、今回それが実現した。

「赤松亡国論」は本当の論文名は「我国地力ノ衰弱と赤松」であるが何時しか歪曲されておどろおどろしいものにされたものの森林・造林施策に対する警鐘でありその趣旨は森林・林業に携わるものとして現代でも心しておかなければならないものである。

博士は、鉄道林の造成提案などの林学分野ばかりでなく全国(海外)の公園の造成、風景策による地方振興への功績も偉大である。携わった公園設計と風景策は、全国に75箇所に及ぶ。大沼公園(北海道七飯町)、鶴ヶ城公園(福島県会津若松)、敷島公園(群馬県前橋市)、日比谷公園(東京都)、明治神宮の森(東京都)、森林公園と奥秩父(埼玉県秩父市)、懐古園(長野県小諸市),天竜峡風景利用策(長野県飯田市)、舞鶴公園改良(愛知県名古屋市),箕面公園(大阪府箕面市)、六甲山公園設計(兵庫県神戸市)、大濠公園(福岡県福岡市)、湯布院温泉(大分県湯布市)、霧島公園(鹿児島県霧島市)、南山公園(韓国ソウル市)と全国津々浦々にわたり博士の設計で現在の日本の公園風景がある。正に「公園の父」である。

本多静六記念館の写真にもあるように「月給の4分の1天引き貯金」のように財産形成法も有名であるが残された人生訓も敬服するものが多い。
 
 

写真にあるもの以外でいくつかを紹介。

あせらず怠らず 長い道を辛抱強く 進んでいくよりほかはない。

人間は活動するところ、そこに必ず新しい希望が生まれてくる。

もし老人のゆえをもって 安穏怠惰な生活を送ろうとするならば それは取りも直さず人生の退歩を意味する。

人は気の持ち方一つで 陽気にもなり陰気にもなり 愉快にも悲しくもなるものである。

今回の学習会は各施設で説明者に恵まれ濃密で有意義なものであった。
 
                                        文責 草野

 

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