コロナ禍による3年間の中断を挟み、2年前から再開した上ノ原での野焼きですが、一昨年は野焼き当日は晴の予想でしたが、前日からの雨の影響が心配されました。そこで、地面に張り付いた茅をレーキで毛羽立てるなど、少しでも燃えやすくする対策を施して火を入れましたが、野焼きの効果については、あまり期待できない結果となりました。また昨年は、野焼き当日は雨が予想されたため、一日目に「野焼き講習会」として実施しましたが、やはり本番は雨で、計画していた茅場の野焼きは叶いませんでした。
最近、茅の生育が雑草に負けている箇所がみられることもあり、本来の効果が期待できる野焼きの実施が、青水にとっての課題になっていました。そんな中、運を天に任せつつも、野焼きの予備日を設けた上で、事前準備にも万全を期して臨んだのが、今年の野焼きです。
まず、藤岡和子、松澤、稲の幹事3名が、26日に上ノ原に前乗りし、午後から6ブロックに分かれた今回の火入れ予定地の周囲を刈払う作業に従事しました。予定地は、十郎太沢の東側で、全体の約三分の二にわたり、また茅が寝ているため、3人での作業量には限界がありますが、明日の作業がスムーズに行われることを念頭に、防火帯となる箇所を仮払い機で刈っていきました。
防火帯刈り払い |
そして迎えた一日目の朝、3人の他に自伐林業を営む島袋さん、昨夜から途中車で仮泊して駆けつけた藤岡貴嗣新幹事も加わり、北山塾長以下6人でテントの設営や道具類の運搬など、参加者を迎える準備に取り掛かりました。
今回の参加者は、一日目33名、二日目40名。昼前から参加者が集まり始め、それぞれ受付、昼食を済ませたあと、最初に山の口開け神事を十二様の前で行いました。北山塾長が明日の野焼きをはじめ、一年間の作業の安全を祈って祝詞を奏上したあと、全員でお参りし、お供えしたお神酒を頂きました。
山の口開け神事 |
続いての始まりの式では、北山塾長に続いて、来賓のみなかみ町の阿部賢一町長が挨拶、青水の活動への期待の言葉が寄せられました。
阿部みなかみ町長の挨拶 |
続くオリエンテーションでは、今回の野焼きエリアと防火帯整備について説明があり、早速参加者は、手にレーキや熊手を持って作業に従事しました。
レーキで可燃物を寄せる |
予行練習 |
3時に作業を切り上げ、クロモジ茶で喉を癒やしたあと、野焼き講習会を実施しました。これは、明日の本番に備えて、野焼きが初めての参加者にも、野焼きの手順やジェットシューターの使い方などを体験してもらうためのもので、広場の北側のエリアで行いました。
予行練習 小幡さんと北山塾長の野焼きコンビ |
野焼きの熟練者である小幡和夫新会員が、火入れのポイントや道具の使い方などを解説、続いて、消火用の水タンクを積んだ軽トラとジェットシューター隊が配置に着いた後、バーナーで点火して行きました。講習会は特に問題なく終了。全員、明日の本番に期待を抱いて、一日目の上ノ原での作業を終えました。
また、この日は視察のために上ノ原を訪れていた(公財)社会貢献支援財団の黒川さんにも、初めての野焼きを体験頂くことが出来ました。(報告:稲貴夫事務局長)
気温20度オーバー、風弱し、これまでにない大面積を焼く
前々日と前日に4〜5m巾の防火帯を作り、茅場全体の2/3程を6区画に区切る
司令は菅生沼などで野焼き経験豊富な小幡先生と北山塾長
ガスバーナーを持つ着火隊、ジェット・シューターを背負った消火隊が揃う
勿論、みなかみ町藤原地区消防第4分団の消防ポンプ車と消防隊員も
焼くのは1区画ずつ、着火の基本は風下から、斜面上から
そこから区画の縁に沿って火付けスタート
火は徐々に燃え進み区画の中心に向かう、9時過ぎ、火入れスタート
私はまだ残っていた防火帯を作っていて、斜面上部から一番遠くに煙が昇るのを見る
順調に進み、しかも焼け残りなし、今までで最高の面積であるのに
私が関わり始めた十数年前は雪が残っていて、重機で雪をどかしてから雪間を焼いた
だから防火帯は不要だったが、雪の下だった茅は焼け残りもあった
温暖化を実感する。(報告:尾島キヨ子幹事)
写真は一部説明は草野がつけました。
野焼き本番 |
煙の色から乾燥具合がわかる |
残り火 |
野焼き状況の詳細は藤岡和子副塾長がFaceBookに投稿されたので拝借して掲載します。写真は一部と説明は草野がつけました。
野焼き前の上ノ原 |
縞焼き法 |
子供たちと未黒野 |
発足20年節目の野焼き本番前の宿の吉野屋における車座講座は、筑波大学大学院修士課程を、この3月に修了された飛詰峻氏の研究課題『茨城県つくば市の茅場におけるススキの現在量および質に関する研究』の発表です。飛詰氏と青水の出会いは、2021年9月に行われた草原サッミトで知った、和歌山大学の学生によるプロジェクト『むすび屋弥右エ門の茅葺き』の屋根を葺くススキの茅刈り指導としてお声がかかったことがきっかけです。この年の12月、青水有志6人が生石高原の茅刈りに出向いた時の、プロジェクトメンバーの一人でした。このプロジェクトに関わったことで、茅についてもっと知りたくなった飛詰氏は、翌年、和歌山大学を卒業後、筑波大学でススキ茅について研究を始めます。小貝川の野焼きで、流域連携している小幡和男氏(今年の野焼き指揮官)と、筑波大学は、強くつながりがあるようで、近年同大学研究者が度々上ノ原を訪れるようになっています。そしてまた、2021年の茅の嫁入り先『小さな地球ゆうぎつか茅葺き』で出会い、一昨年の茅刈り、昨年の野焼き茅刈りと参加してくれている、東工大学の学生とも飛詰氏は、繋がっていたのです。
ブログで、車座講座の内容を筆者がお伝えしても、本人ではないため、薄っぺらなご報告になってしまいますので、割愛させていただきます。それよりも嬉しかったことは、この夜、いろいろな視点から茅を研究する学生が、複数大学から偶然集います。そして、彼らは、茅を介してすでに仲間であったのです。どうやらここでの話から、学校を超えた何かが始まりそうです。大変盛り上がった車座口座に懇親会。草原ネットワークは、人のネットワークでもあるのだと感じた夜です。
交流会 |
飛詰さんの車座講座 |
(報告:藤岡和子副塾長)
消防団も出動 |
延焼させない決意を背中で語る |
今年の野焼き、これまでの鬱憤を晴らすかのような3ブロックローテションの2倍と規模も大きく、よく燃えてました。しかし、反省点もあります。
それは、規模を大きくするためには防火帯などの事前準備が必須ということです。幹事4名が前々日入りしましたが恒久防火帯の刈り払いを終わらせることが出来ず、かなりの重労働だったようです。参加者が到着してからの仮設防火帯(区画防火帯)は前日だけでは終わらず当日に持ち越しました。また、刈り払いの程度に疑問のあるところもありました。幸いに風も弱く、消防団の事前水まきや水タンクの設置でジェットシュターの水の補充も手際よく行われたので延焼などは起きませんでしたが、従来の規模と違う場合は事前に周知して前々日入りの人数を増やすなど規模なりの準備に万全を期すことが大事だと感じました。また、一部立木の枯れ枝に火が移りくすぶるところがあったので区画終了後の見回り隊の必要性を感じました。(報告:草野)
東工大塚本研究室提供のドローン撮影 |