2025年4月27日日曜日

BIG イベント !! 4月26日~27日 森林塾青水 20周年記念式典&野焼き

 【プロローグ】

馬県みなかみ町藤原上ノ原入会地で2004年、40年ぶりの野焼き復活から20年の節目の2024年。1年間の入会仕事を無事に終え、20周年式典を21年目の野焼きと共に開催しました。

私は、2014年夏の草刈りから関わり10年。今や副塾長(自称:青水のちんどん屋)に就任しています。

式典準備のため、幹事一同前日から藤原入り。講演会場入り口が寂しいので、ビビッと閃いたのが、
             

昨年作ったニュウ(乳)


昨年作ったニュウ()が上ノ原にある!杉の木から青っ葉、地面から蕗の薹、集落から桜の花を頂戴して生けました。夜も夜な夜な、明日の準打ち合わせ準備とです。



『ボッチ(茅束)生け花』


26

私は、新幹線と在来線を利用する参加者のアテンドのため、マイクロバスに添乗しました。その中には、初代塾長清水さんと藤原の生き字引、林親男(ちかお)さんもいらっしゃいます。親男さんはご高齢のため、数年前から藤原を下り街で暮らしています。バスに乗った親男さんから、みなかみ語りが始まりました。

親雄さんから水上語り


古道の話。山の木を筏にして流した利根川の話。親男さんが指差す山の石で奈良俣ダムの石組みをした話。みなかみは、雪解けの水流を活かしてラフティングのメッカとなっているが、そのエネルギーは、水力発電にも使われていること。谷川岳を見ながら馬の背の話、雪解けてできる馬の姿を見て、春まきのタイミングを計っていたそう。

道中あちらこちらに、生活様式の変貌を語る歴史が、散りばめられていました。まさに自然と暮らしは一体でした。

 

「靴を取りに行きたいから、ちょっと家に寄ってくんねぇか?」

マイクロバスを親雄さんの自宅前に


それでマイクロバスを親男さんの自宅前に停めました。靴を取りに行っただけにしては遅いな?そう思った頃、戻って来たその手にアブラチャンのかんじき。

「いるか?」

なんと!!私に差し出しました。思いがけないプレゼント、親男ブランドのかんじき。ヤッター\(^o^)/来年の大幽トレッキングはこれで登ろう!!

用は済んだはずなのに、今度は庭に入って行きました。皆さんバスで待っているなか、親男さんが私を手招きします。

「金魚がいんだよ」

池を覗くと立派な金魚。親男さん曰く15匹。

「餌やっていいか。すぐ済む」

二度目の『すぐ済む』で餌やりを終え、漸くしてバスに戻った親男さんでした。

かんじきを頂き喜んでいると、親男さんが私に耳打ちします。

「大幽(洞窟)の氷筍って知ってるか?」

私が頷くと

「ありゃ~凄いだろ。あれは俺が見つけたんだ。初めて見た時は、そりゃあ、びっくりさ。2時間は動けんかった。」

親雄さんが最初に発見した大幽洞(洞窟)


初めての参加者も、きっと親男さんの虜になったことでしょう。ほんわか楽しい道中もここまで、上ノ原入会地に到着しました。

上ノ原に到着


さて、このビッグイベント。この1年草摘み欲を封印して準備に取り組んで参りました。熱意半端ないので、プロローグだけでこの長文です。()

 

【野焼き事前作業】

マイカー組も上ノ原入会地に集合し、明日の野焼きの準備をします。3日前上ノ原は、まだ雪に覆われていました。今年は、移住16年目の塾長も初めて経験する程の積雪量。久し振りに雪間の野焼きとなるとの見立てです。26日の雪の具合は、野焼き予定地に除雪機が入り、晴天による雪解けも相まって、予定のブロックの2/3は焼けそうです。

雪に覆われた上ノ原(3日前



 準備の要は、防火帯をしっかり作ること。安全な野焼きにするための鉄則です。今年は、雪間の野焼きになるので刈り払いはしません。スコップ隊が、焼きたい箇所に島状に残っている雪を、防火帯にしたい箇所、雪の解けているところに運んで、雪の防火帯を作りました。

スコップ隊が除雪で防火帯を作る

 レーキ隊は、夏に草を刈った防火帯の可燃物の除去を徹底して行いました。レーキの使い方にはもう一つ。3日前まで雪に覆われていた草原の湿った枯れ草は、雪の重みで地面にへばりつき、燃えにくい状態です。それを毛羽立たせて、燃えやすくする作業もしました。

レーキ隊がススキの毛羽立て



【野焼き復活21年目の点火式】

上ノ原では茅場11ha3分割して、3年周期で焼いています。今年は残雪のため、エリア1/3の内2/3程を焼きます。防火帯作りは例年より作業量が少なく、時間に余裕が出来ました。

上ノ原の野焼きは三分割3年周期が基本


そこで明日の練習も兼ねた20周年記念点火式(野焼き講習会)を行うことにしました。

着火は、初代塾長清水さんと二代目の草野さん。草野さんはしっかり清水さんのサポートにまわります。点火式で焼いた箇所は、広場の右の細長いエリア。焼け跡が、明日広場を焼く時の防火帯になります。「狭い帯状のエリアを丁寧にゆっくり焼くことで、隣接した広範囲を安全に焼くことが出来るんです。」と野焼き王子増井さん(年間30箇所以上の野焼き行脚時代を持つ)。前日夕方に上ノ原に降り立つと、一瞬で見極めた熟練の技!!さすが我が野焼きの師匠!

ジェットシューターを背負って指示する小幡さん



初代清水塾長と二代目草野塾長が点火式

点火式で焼いた歌手は、広場の右の細いエリア

 
長男を同行して久しぶりの上ノ原に立ちサポートしていただいた増井さん


昼食を食べ、鎮火確認をしっかり行い、式典会場に移動しました。

 

20周年行事プログラム】

 開会式

開会式 主催者挨拶北山塾長


  来賓挨拶

 

来賓挨拶 みなかみ町田村義和教育長

 みなかみ教育長来賓挨拶の後、私の番が来ました。人生初のプレゼンでしたが、始めの緊張はどこへやら、開き直って話せました。

私の番が終われば、後は素晴らしい話が続きます。

 報告会

 20年の振り返り』藤岡和子

 


 『上ノ原植物調査』小幡和男  (茨城県霞ヶ浦環境科学センター)

  


      

阿部賢一みなかみ町長 挨拶

   

 記念講演

 『流域コモンズという先見の知』西廣淳

 (国立環境研究所気候変動適応センター)




 シンポジウム

 『上ノ原の未来に向けて』




  コーディネーター 

   笹岡達男(全国草原再生ネットワーク理事)

  パネリスト

   朱宮丈晴(日本自然保護協会)

   町田守俊(町田工業社長)

   北山郁人(森林塾青水塾長) 

ナンバンギセルの花びらのヒダの話を、目を輝かせて語る小幡さん。ジャワ原人からネイチャーポジティブまで自然と人類の壮大な歴史を、青水の活動に当てはめて語る西廣さん。上ノ原の未来に向けて、登壇者各専門の視点から意見を出し合ったシンポジウム。3時間の式典は詰め込みすぎ感が半端ないですが、贅沢すぎるその濃さに頭一杯、胸一杯でした

 感謝の集い

草野前塾長の開会挨拶

林 親雄さんに感謝状贈呈

塾草創期の功労者木村伸介さんのお言葉と乾杯

懇親風景

安楽顧問の万歳三唱で締め


食事をしながら感謝の集い。そこで語り合いきれず、その後の各部屋での二次会で、車座談義に花が咲きました。

 

【山の口開け神事】

十二様に一年の入会仕事の無事を祈願します。北山塾長の祝詞の後、楽の奉納で唄わせていただきました。楽曲はカススアフリ族の歌で、ジャンベ(太鼓)は夫(貴司)です。

デュニヤマハタマ デュニヤマ

=和訳=

世界はひとつ ずっと 手を取り合っていこう

創始からいわれ続け守ってきた 地の神に感謝する心

何にでも自然界に叶わぬからこそ 共に生きること

と唄いました。

 

塾長の祝詞奏上

カススアフリ族の歌を奉楽

【野焼き】

「野焼きは陣取りゲームなんですよ」

息子を抱き、炎を読みながら呟いた師匠である増井さんの前を、ジェットシューターを背負い走る。

三年前に参加した女性から、「和子さんのように動けるには、どれくらい経験したんですか?」問われました。今年は着火でなく、水を背負うジェットシューターのみ。数えたら今年が7回目。女性が感じた私の『動き』は、経験回数は少ないけれど、一年目の2015年から火付け役に抜擢していただいた時から、その後3年間、火付け役とジェットシューターを兼任した年も、野焼き王子増井さんの側で一緒に動いたからこそ。問われなければ振り返ることのなかった気づきです。まだまだど素人ですが、野焼きレジェンド方の側で、これからも経験を積んでいきたい。

野焼き文化=火の文化が培ってきた生態系。季節仕事は1季逃すと365日後。式典での小幡さんの、上ノ原の植物の報告。西廣さんの、流域コモンズと火の文化の講演。茅場を一緒に守ってきた文化財の屋根を葺く町田工業社長の思い。そのお話を聞いた後の野焼き。一年後の重大さ、伝統を継承する大切さをひしひし感じました。

 

 

【増井さんと走り回りながら学んだ野焼きの至言。この時を経て、今の動きがある。】

「ジェットシューターは火を消すだけではないんです。炎をコントロールする。それが楽しいんです。」

「火を着ける。炎は広がる側から野焼きは炭化していく。」

「焼きたい方向にある程度炎が移ったら、焼かないエリア方向の。ほら、そこの炎ですね。消すんです。すると、こっちから風が吹いて焼きたい炎を助けるんです。」

 

「あそこが危険ですね。あの木に火が移ったら森まで燃やしかねない。そのために、手前のもさっとした、そこ。灌木がぱらついたところを一気に燃やしたい。」

「和子さんは、ここから、あっちに向かって、今までの感覚で着火して行って下さい。僕は、あそこまで行って、火を着けながら後から追いつきます。」

「僕が追いついたら、炎が高く揚がる前に急いで走りきります。」

「はい!走って!!」

走りきり、防火帯から炎を見る。

背後から冷たい風が吹いた。

「風を呼びました。これからです。」

風をうけ、一気に立ち上がった炎は、勢いをつけて枯れ野を焼いていく。煙は渦を巻き中心に集まり、天高く上がった。

そして鎮火 一瞬だった。

話だけでなく、予測を聞き、実際に行い、そして事象を体感する。この体感は忘れない。

増井さんの野焼きのやり方説明
















消防団のみなさん出動ありがとうございました



集合記念撮影
文 藤岡和子さんのFaceBook投稿より転載
写真 稲 貴夫さん提供

2025年3月9日日曜日

雪原トレッキング 雪とうどんを踏みしめて 2025年3月8日~9日

 3月、2024年度最後のプログラム「雪原トレッキングと自然体験」を行いました。大雪のニュースで藤原の様子が度々報じられたことが良い宣伝になったのか、雪原イベントとしては過去最多の25名が集まりました。

上ノ原手前の駐車場まで上がると、両脇はカーブミラーがすっぽり埋まるほどの雪の壁。これは歩き甲斐がありそう…!各々スノーシューやかんじきを装備し始めます。北山塾長の愛娘、藤原育ちのルナ師匠によるかんじき履き方講座も催され、皆足元の不安無く大幽洞を目指します。

藤原の古老お手製のかんじき
履き方を教えてくれたのは藤原育ちの女子高生

沈まない足を手に入れたら、真っ新な雪を踏みたい衝動は抑えられません。さっそく思い思いの大きな足跡が雪原に鏤められます。序盤は平坦だから、まだ大丈夫。シジュウカラの声に耳を傾けたり、ドライフラワーになったツルアジサイにときめいたり、セッケイカワゲラの型破りな生き方に驚いたりしながら歩けば、ウォーミングアップ完了です。

いよいよ登りが始まると、素直に前倣えで進みます。最後に待ち構える急登は、2班に分かれてアタック。前半チームは深い雪に埋まりながら全身で前へ前へと道を切り開き、後半チームはスノーシューの刃が立たない程に踏み固められた道に食らい付いてよじ登ります。それぞれ筋肉痛の部位が違ってたことでしょう。

向こう側が透けて見えそうなブナの落ち葉
幹に張り付く雪。風向きを想像してみる。
谷川連峰もぼんやりお目見え…?
急登を前に現れたラスボス、リーゼント!
すごい斜度…
ゲレンデのような斜面との激闘!

ついに辿り着いた洞窟の中には、ヒョロヒョロもやしっ子の氷筍が大勢並んでいました。塾長曰く、気温が低いと水滴が凍るのが早いため、細長い形になるとのこと。毎年異なる姿で迎えてくれる氷筍たちは、その冬の天候を敏感に受け取って表現してたんですね。
帰路は恒例の尻滑りでスタートし、勢いそのままあっという間の下山でした。無事に予定通りのトレッキングを終え、日帰り参加の5名を見送って民宿並木山荘へ戻りました。

今年は華奢な氷筍たち


夕食を戴いた後、希望者は「藤原雪まつり」を見学すべく藤原スキー場へ。入り口の雪灯りとステージを囲うスウェーデントーチの温かい光が、凍える指先や目や背筋に染みました。真っ暗なゲレンデを背景に、今年も「GOROPIKA」のファイヤーショーで盛り上がり、大きな打ち上げ花火が真冬の澄んだ空を彩りました。 

スウェーデントーチのステージサークル


二日目は、初めての「藤原盆でうどん作り」。民宿関ヶ原からお借りした栃ノ木の「藤原盆」は、囲炉裏の煤で真っ黒になっていた表面を削り直したそうで、木目が煌めいてとても素敵です。藤原盆のカタチの特徴は、底の一部が斜めにカットしてあること。これにより盆を手前に傾けながら、力を込めて生地を捏ねることができます。

伝統民具「藤原盆」

次に登場した古民具は、なんともレトロで可愛らしい「手回し製麺機」。かつて藤原集落では家族でうどん作りをする習慣があり、一家に一台は必ず製麺機を持っていたそうです。まずはラッパのような挿入口から生地を入れてハンドルを回し、平らに延ばしていきます。折りたたんで延ばしてを何度か繰り返したらギアチェンジ。今度はギザギザのローラー部分にペラペラの生地を挟み込んで再びハンドルを回すと、細めのうどんがにょろ~っと出てきました!た、楽しい!

民宿の女将さんによる製麺指導
薄く均一に延ばされた生地たち
贅沢な手作りうどんランチの完成!

大量生産された「藤原うどん」は、程よい弾力とつるつる食感でお店にも劣らない味わい。生地を捏ねたり踏んだり伸ばしたりの具合によって微妙に歯応えが違うのも面白く、皆席を立ってあちこちのザルに手を伸ばし、食べ比べを楽しみました。次回は上ノ原の山菜と一緒に戴くのも、ありですね~。

(報告:河辺)

2024年12月2日月曜日

森林塾青水が第62回社会貢献者表彰を受賞 -3代塾長揃踏みで式典に出席-

 一昨年の茅刈りの時だったろうか日光茅ボッチの会代表の飯村さんから「社会貢献者表彰(茅ボッチの会は第58回で受賞)というのがあるので森林塾青水を推薦したいのですがよろしいでしょか」との打診を受けて北山塾長が公益法人社会貢献支援財団に申請していたところ、昨年8月栄誉ある賞の受賞決定の通知を受け取りました。財団の担当者が2024年の野焼きを視察されて我々の活動がこの栄誉にふさわしいかどうかを見ていただき、こちらとしては好印象を得たと思ってはいたもののこの朗報に小躍りし、推薦していただいた飯村さんに感謝・感謝・感謝でした。

 社会貢献者表彰とは公益財団法人社会貢献支援財団が、人びとや社会のためにつくされた方を表彰し、日本財団賞が贈られるもので表彰は年2回行われます。

 対象者は広く社会の各分野において、社会と人々の安寧と幸福のために尽くし、顕著な功績を挙げながら報われる機会の少なかった方々を対象としています。候補者は、自薦他薦を問わず広く一般に公募され、年齢・職業・性別・信条・国籍などによる差別はありません。そして表彰対象者には、賞状及び日本財団賞(賞金)が贈られます。

https://www.fesco.or.jp/award/index.php 🔎社会貢献者表彰

第62回の表彰式は昨年末、12月1,2日に「帝国ホテル東京」で挙行されました。推薦された団体・個人は200以上、60が一次審査に、最終受賞者は30団体、うち、自然系が3団体、そのほかはほとんどが福祉系でした。

式には1団体4人まで出席(宿泊を含む)出来ます。さて誰を・・・・、現塾長は当然として、幹事会において若手幹事から次代を託す中心人物の藤岡和子副塾長が指名され、ちょうど20周年記念の年でもあり初代・2代目・3代目塾長で揃踏みでという事になったのですが晴れがましいところ苦手で「帝国ホテル」と聞いて怖気づいて一旦は辞退したものの清水さんの揃踏みで栄誉を受けようとのお勧めもあって2代目の私も出席することになりました。

初日は受賞者懇談会がありました。この中で各団体がそれぞれの活動を1分間で自己紹介する場面があり、青水は所用で遅れてくる北山塾長に代わり若きエースの藤岡さんが飲水思源を合言葉に茅場の再生・保全に取り組む意義や成果を堂々と語ってくれた時には思わず涙ぐんでしまいました。

懇親会々場の様子

表彰団体の紹介ビデオ

藤岡副塾長のスピーチ


堂々のスピーチ


その後、夕食会が行われ帝国ホテルのフランス料理をおいしくいただきました。

ワインも格別


19時に解散後、3人で当ホテルのバーを冒険をしましたが場違いな雰囲気にお酒を味あう余裕はなく、その後合流した北山さんと有楽町の居酒屋で飲みなおしました。

帝国ホテルのバーの雰囲気


帝国ホテルの部屋で一夜を過ごし、朝食は皇居前広場と日比谷公園が眺望できるビュッフェ(ちなみにバイキングという食事スタイルは帝国ホテルが発祥の地)で大満足の朝食を済ませせた後、2日目の式典に臨みました。

朝食会場のビュッフェからの眺望

式典は10時からで、堂々の入賞者入場で式典が始まり、安部昭恵会長挨拶、表彰状授与、受賞者代表謝辞、笹川陽平日本財団会長の祝辞が続き、内館牧子選考委員長の乾杯で祝賀会(昼食会)となりました。

会場の展示パネル 青水は2段目左から3番目


初代塾長(元祖飲水思源)

2代目


表彰状を手にした3代目




次世代の担い手

表彰状


祝賀会では各団体のビデオ紹介や佐藤ひらりさんの澄みきった歌声とピアノ演奏の記念コンサートが花を添えました。

祝賀会

お料理のひとつ


今回の表彰は上ノ原着手20年を迎えた塾にとって利根川源流の目立たないところで地道に茅場の再生・保全活動を継続したことが認められという機を得た大変うれしい吉事となりました。初代塾長清水さん、3代目北山さん、そして私にとっても塾長としてその一端を担ったことに誇りを感じています。

これも会員の皆様や藤原集落の皆さん、みなかみ町役場の見返りを求めない献身的なご協力の賜物です。改めて皆様に心から御礼申し上げますとともにこれからの森林塾青水へのご協力をお願いいたします。

                       報告 草野

 

表彰式の様子は下記のサイトからも見られます。

第62 社会貢献者表彰式典 : 公益財団法人 社会貢献支援財団


2024年11月24日日曜日

活動報告 茅出し -べっぴんさんの嫁入り-2024年11月23日~24日

 

茅出しは、「入会の森」の冬支度です。

4月の野焼きに始まった今年の茅場仕事も、茅を出して年納め。10月の茅刈りイベントでは、まだ青み多いススキでしたが、地元茅刈り職人渡辺さんや自伐組み、青水有志が11月中頃まで刈り進めていくうちに、黄金色へと変わって行きました。

雪の中の茅場


 

いよいよ嫁入りの日。この日は、寒風吹く冬型の気圧配置。都市部は晴天でしたが、赤城山が見えるところになると雪が降ってきました。積もる前に出せとばかり、到着そうそう作業を始めます。前日には、自伐組が天気予報を見て、早急に対応してくれたお陰で半分出されておりました。そのため、同じく天候が心配で、早めに筑波を出発した平沢官衙遺跡搬入トラックに、すぐ積むことが出来ましした。自伐組の皆様、ありがとうございます。

 

曳きずるボッチにどんどん積もる雪

積もればその分どんどん重くなる

寒さに負けるな

無事に「べっぴんさん(上ノ原の茅のこと)」を嫁に出せ

ボッチの先をつかんで一度に2ボッチ

曳き出す前の結束

 

湿った茅はとにかく重い


一度に沢山の茅を出す新兵器「橇」
欠点は斜面をもって上がるのが大変


積み出し前にべっぴんさんとトラック待ち




疲れ無し若者

今年の嫁入り先は、昨年に続いて筑波の平沢官衙遺跡実物大復元建物に600ボッチ(3000)鴨川の「小さな地球ゆうきづか」の葺き替えプロジェクト学生有志が刈った150ボッチ(750)です。残りの84ボッチ(420)で、広場の白樺を芯柱に『にゅう』を作りました。雪融けまで、ここ上ノ原で保管します。

この保管方法は、上ノ原の茅が藤原集落だけで循環していた時代のやり方です。この茅を春先に雪橇で運んだそうです。『にゅう』のくくり方が合っているのか分かりません。知っている人は、もう茅出しには来ることは叶いません。もっと早くに習っていたらと、悔しい気持ちが湧いてきました。でも、後悔したって仕方がない。『やってみる』これも継承の一技なのかもしれません。このくくり方で良かったのかどうか、来春の雪融け後に分かります。

 

今年,初挑戦の「にゅう」作り

手探りの縛り方


支えは塾の看板と白樺の木


=山の口終い=

一年の入会仕事が無事に終えられたことを、今回お世話になった宿『樹林』我ら入会仕事の師匠の一人、阿部惣一郎さんの墓前でご報告いたしました。

また、宿から上ノ原へ向かう途中、茅刈り職人雲越萬枝さんのお宅を訪問し、ご挨拶とご報告を致しました。

最後に、草原の広場に鎮座おわします十二様にお神酒と山のもの・里のもの・海のものと塩と水と米をお供えし、感謝と無事と祈願をこめて祝詞を捧げました。

十二様に祝詞奏上


今年の茅ボッチ数
茅刈イベント166ボッチ 830束
茅刈衆(地元)412ボッチ 2060束
合宿106ボッチ   530束
小さな地球 150ボッチ 750束
 計    834ボッチ 4170束 

嫁入り先
 平沢官衛遺跡(茨城県つくば市) 600ボッチ 3000束
 ゆうきずか(千葉県鴨川市)150ボッチ 750束
 上ノ原にゅう 諏訪神社用ストック 84ボッチ 420束 

 

来年も善い入会仕事が出来ますように

皆様も良いお年をお迎え下さい。       報告  藤岡和子

                      編集  草野 洋

                      写真  清水さん提供

               


                   茅だしスナップ