2016年11月14日月曜日

実施報告「茅ボッチ運び出しと山之口終い」


今年の茅出しは天候に恵まれた。用心して厚着をしてきたのが完全に裏切られ、2日間とも日本晴れ・小春日和。藤原集落内の紅葉も晩秋のブラウンの強い独特の色合いの中にイタヤカエデやハウチワカエデの色が鮮やか。秋の陽ざしに浮かぶ紅葉や夕暮れの紅葉はうっとりするほどでした。
茅ボッチのある晩秋風景
 

 そんな中、青水の活動の中で一番の過酷な作業に首都圏から13名が参加。地元茅刈衆、移住組、町田工業衆を合わせて総勢19名での作業となった。林道手小屋線の改良もあってボっチを曳く距離はやや短くなっている。

初めに縛り紐を用意して縛り方の方法をおさらいする。

ボッチを倒す方に紐を置き、倒して人間でいえば膝の下あたりで縛り、一ボッチあるいは二ボッチの穂をもって車道まで曳きずり出すのが一連の行程、この作業はきついがちょっと色っぽい(なぜだかは想像にお任せする)。
倒して、縛って
 
「これでもか」時には押さえつけて縛りあげる。
 
下りは良いが上りの傾斜は相当きつい。朝に降った雨で初日は重かったボっチも次第に乾き軽くなり助かった。

初日に気合を入れて全体の約9割を終了させたので、終わりの笛が鳴るころは心地よい疲れを通り越した疲労困ぱいの目に夕暮れ陽に当たる紅葉の美しさが入ったかどうか。
この景色、自然の造形は神様が・・・
 

話は変わるが、6月頃から十郎太ノ沢の管からの水が出なくなっていたが、茅刈の時、すぐ上のマスのふたを開けたら管を植物の根がふさいでいたので除去したら再び勢いよく出るようになった。銘水の復活である。ご不便をおかけしました。

十郎太の泉で、麗澤学園の生徒たちに「森林(土壌)は、降った雨をゆっくりと時間をかけて浸透させる。データによれば1日に1~2m、今、ここに出ている水は3km離れた頂上に8年から16年前に降った雨」と説明したら。「今日、頂上に降った雨を私が21歳の時に飲むことになる」と感想を述べていた生徒がいた。なるほど!!「子供たちは未来からの留学生」、未来志向とはこのようなことなのだろうと若い柔軟な発想に感心したものである。「それまで、山や泉があって・・・いや未来からの留学生が永遠に飲めるようにしなければならないな」と滔々と出る水を見ながら感じた。
十郎太銘水復活!!8年前の雨が今・・・
 

この日の宿は洋風ペンション「パル」、塾が初めて使うベツトの部屋である。ワインと洋食とすき焼きで空腹を満たし疲れをいやす。今夜は車座講座がお休み、交流会はスーパームーン十二夜の月も微笑むような楽しい盛り上がり。

2日目は、茅刈の時に見損ねた湯の小屋の「大ナラ」を見に行くことになり6時起。

大ナラは県道から約20分、里道「大芦・湯の小屋線」沿いにあり、周囲はミズナラ、ブナの2次林、大人4人が手を回すような大きさである。途中、笠ヶ岳も見える。この里道は少し傾斜がきついが比較的広く歩きやすい。上ノ原にも通じているようだ。また一つタカラを見つけた。
大ナラ
 

 昨日頑張ったおかげで、2日目の茅出しは1時間半で終了。最後のところは下りだが車道までの距離があり上がりがつらいラストスパートとなった。
曳き作業下りは良いが帰りはハァ-ハァ-
 積雪の被害に備えて看板をはずす作業をしていたら、一番森に近いところの看板がクマにかじられていた。自分の縄張りに勝手に立てるなとの警告か。生物多様性が豊富な証拠である。
ここは俺のテリトリーだ!!
 

 「山之口終い」を稲さんのMCで行う、十二様に「素晴らしい茅を収穫できたこと」「美しい茅場風景を作ってくださったこと」「一年が息災であったこと」に感謝してみんなで柏手を打ち、お神酒をいただいた。
目には見えねどもこの風景を作られた「何もの」かに感謝
 

 その後、炭窯作業を惣一郎さんの説明で聞き、昼食は晩秋の茅場で「カレー」である。これも初めての経験だったがおいしくてお替わりしてしまった。
煙に巻く??
 
上ノ原名物茅場カレー(華麗!加齢!)誕生
 
 

 刈った茅束の総数は4,300程度、村の茅刈四人衆が刈った茅束数は3,855、ボランティアが刈った束数は推定500、うち300束は昨年のストックと入れ替え、残りは昨年のものと合わせて町田工業さんに買い取ってもらうことになった。
幸せになれよ(涙・・・)
 

皆様の奮闘でボッチが第二の茅生を送ることができます。重労働ほんとにお疲れ様でした。
過酷な労働の後の笑顔

 
 
                         草野記

2016年11月6日日曜日

錦秋の茅場で茅刈・ボッチづくり


今年の奥利根の紅葉は今一つでしたが102930日に今年も錦秋の奥利根上ノ原茅場で茅刈が行われました。
今年の紅葉は今一つ
 
マユミのこの赤は自然界しか作れない
 
 日帰りを含めて首都圏からの参加者22名に、遠くから日光茅ボッチの会の飯村さんと湯澤さん、みなかみ町から澤浦商工観光課長をはじめ3名、地元から古老衆を含め3名、町田工業から2名の総勢32名が茅場に鎌音を響かせました。

天候はうす曇り少し肌寒いような作業日和。始まりの会のあと茅刈を初めて経験する参加者が6人ほどいたため町田工業のお二人に実地指導をお願いし、早速、茅刈開始です。
 
初日にはきれいな虹が吉野屋から見えました

2日目古老衆の指導

 

今年季節がおくれ、夏の降雨不足、秋の長雨と天候不順の影響もあってススキの成長は例年の8割程度、雑草が目立ち、少し青さが残っていますがその分結束がしやすくなっていました。それでも春に野焼した部分は野焼効果もあって品質の良い屋根茅が採れそうな状態です。
 
今年のススキの状態
 
1週間ほど前から刈った古老衆のボッチと前々日には麗澤の子供たちが作ったお手本のボッチが立っています。

やはり初体験組は最初、難儀したようですが鎌の引き方、束のつかみ方、腰の入れ方などの要領を教えてもらいすぐに自分のペースで刈り始めました。
 
役場の方も茅刈


 
 
オレンジのユニホームが板についてきました
 
今回一番の刈り手

 今年は茅束の品質を上げる狙いをひそかに持っていました。ポイントは束の中から雑草や穂が
ない細いススキを除き、穂のあるススキをいかに多くするかです。そのため、成長の良い茅に向かってトラ刈り状に刈進みます。
技量が伴う伝統的な縛りにこだわらずヒモを使って能率を上げることを試みました。

1日目にはみなかみ茶道会のご婦人方が駆けつけて下さり野点で疲れをいやすサービスをいただきました。ほどよい汗をかいた後のお抹茶、大変おいしく、周りは紅葉という絶好の雰囲気の中で味わいました。この方々は、合間にオカリナで里の秋などの唱歌を演奏してくださいました。
 
 

みなかみ茶道会の皆様

また、初めての試みとして岐阜大の津田先生に「燻製装置」を手作りしていただき茅刈が終わるころには鳥のささ身、かまぼこ、紅鮭などの燻製が出来上がりおいしくいただきました。これも毎年のプログラムにしましょう。
燻製装置

ささみがぶら下がって

 皆さんの茅刈の様子を増井さんと夏目さんがドローンで撮影してくれました。総会の時に上映しましょう。

2日間で刈ったボッチ数は暫定で88ボッチ。実際はもう少しあるでしょう。茅出しの際に検数します。この茅ボッチは重要文化建物の屋根茅に生まれ変わります。
 
茅ボッチ
 

この日の宿は食事がおいしい「とんち」。腹いっぱいのごちそうの後は車座講座です。 今夜の講師は町役場の総合戦略課エコパーク推進室エコパーク推進グループGL小池俊弘さんに「みなかみ町の魅力とエコパーク構想」として国内推薦が決定しユネスコで審査待ち中のエコパーク構想についてプレゼンしてもらいました。 パワーポイントを駆使して説明される小池さんにはエコパーク登録にかける並々ならぬ熱意と情熱があふれていました。エコパーク申請・登録を契機に合併後のみなかみ町民の心を一つにしたい、役場行政の意識も変えて町の発展につなげたいとの強い想いが伝わってきました。参加者からは、来年6月頃の登録決定を切に願うとともに登録後の町民の暮らしが真によくなるような施策が大事なので頑張ってほしいなどのエールが送られていました。青水としても協力を惜しみません。休日夜分にも拘らず遠方まで出向きプレゼンしていただいた小池さんに心から感謝申し上げます。
イケメン小池さんの情熱あふれるプレゼン
 
祈る登録!!
 
 

車座講座の後は、恒例の交流会、日光茅ボッチの会や町田さんの差し入れの日本酒をおいしくいただきながらの話は盛り上がりました。

翌日は希望者12名ほどで、晩秋の奥利根水源の森林(国有林)へ。現地で夜明けの中のブナ林が見れるちょうどの時間になるように早朝5時半の出発です。

往きの暗闇の中では紅葉も見えませんでしたが着いたときのまだ葉を残している朝もやのブナ林と帰りの朝日の中の照葉峡の紅葉は見事でした。

茅刈は村の古老衆が11月10日ごろまで刈り続け、12日、13日とから寒風で乾燥させたボッチを運び出し町田工業さんに買い取っていただきボッチに第2の茅生を与えます。

野焼きと茅刈は茅場維持にとても重要な作業です。茅場をはじめ人工林や棚田など人々の暮らしの中で作り上げた半自然(二次)は人の手が離れると荒廃します。この美しい風景をいつまでも保ち日本文化の維持に不可欠な屋根茅を供給し続けるために今後も皆様のご協力をお願いします。

このような人と自然のかかわりの中で作られて維持継続していく風景こそエコパークの本質ではないでしょうか。

今年刈ったボッチは狙い通りクオリティーが良いものになりましたので1年間はストックし買い取ってもらう段取りを付けました。茅刈終了後、地域イベントのお散歩マルシェの拠点で藤原の農産物を購入しましたが茅束の代金を参加者に還元してかねてより考えていた「地域通貨 “ボッチ”」が実現できればいいですね。
 
Goot Qualityよ
私ならいくらでもらってくれる?
                                  草野記

 



麗澤中学一年生 奥利根水源の森林フィールドワーク


 中学3年間の学年毎に「自分(ゆめ)プロジェクト」を設け「未来を創造する知恵とたくましさ」を身に着けるオリジナルプロジェクトを展開し、「仁草木に及ぶ」(慈しみの心を、人間はもとより植物にも及ぼす)を実践している廣池学園麗澤中学校(詳しくは茅風49号を参照http://www.commonf.net/wordpress/?page_id=68)の一年生139人が上ノ原や藤原で10月26日から28日までの2泊3日のフィールドワーク(以下FW)が行われ青水が手伝いしました。 5月のキャンパスでの樹木観察会以来5か月ぶりの心も体も確実に成長した生徒たちとの再会はやはりうれしいものです。


一年生のプロジェクトテーマは「自分と自然」で「自然から恩恵を感じる」ことを目標にしています。この目標を達成するために今年からFWの時期とプログラム内容を変えました。 例年は7月の夏休み前に実施していましたが暑い盛りと梅雨末期の天候不順なこともあり生徒たちの安全・健康を考慮して錦秋の10月に。ロング森林散策を中心としたプログラムは時期的に可能な茅刈体験をメインにショート森林散策、茅編みクラフト、集落内の神社、古民家見学としました。


 刃物である鎌を使っての茅刈体験、安全性を心配しましたが子供たちはほとんど初体験にも拘らず刃物を持った時のルールも守り真剣に取り組んでいました。
茅刈初体験
 

最初の村の古老達(おじいさん・ひいおじいさん)の刈り方や伝統的縛りの指導も新鮮な感覚だったようでグループで1ボッチの予定が2.3ボッチ作ったグループもいたようです。

 28日のまとめである生徒から聞いたところ、夏休みに毎年おじいちゃんと草刈りをしている生徒もいた様でそれほど心配することではなかったようですが無事に終わってホッとしています。。

私は翌日彼らの作ったボッチを見に行きましたが大人が作ったボッチに負けないくらい立派なたくさんのボッチがキチンと林立している風景に感激してしまいました。
生徒たちが作ったボッチ
 

木馬道森林散策は茅場を出発し「ははその泉」~「木馬道」~「炭窯」までの説明を入れて約1時間コース、5ポイントは5か所、①茅場(二次(半自然)草原の成り立ち、再生維持の方法、トチノキの冬芽がネバネバするわけ、②ははその泉」のほとりで森林と水源涵養の話、③伐採跡地では「伐ることは環境破壊か(林業)」の話、カエデの種類、④キワダを例に人間に有用な樹木・生物多様性、⑤最後に炭窯のところで「地球温暖化と森林」としてまとめました。実際に森や樹木を見ながらの解説です。

茅編みクラフトは前日用意したスグリ茅を使い、茅編み機でミニすだれ(筆巻き)を作っていきます。此処の担当は岡田さんと藤岡さん少し時間が足りなかったようで準備を含め大忙しのようでした。
茅編み

出来上がり

 

このほか、雲越家住宅(古民家)と諏訪神社を見学して藤原の生活や文化にも触れてもらいました。

3日目は、水上高原ホテル200でまとめのアドバイスをしました。会場は11階にあり谷川岳などの奥利根の山々の眺望がよく利根川との位置関係もよくわかる絶好の場所でした。
水上高原ホテル200で林さんのダムの話
 

林親男さん、藤岡さんにも手伝っていただき彼らFWで体験し学んだことをまとめる際の質問に答えアドバイスしました。ネットなどで調べた事前学習と実際のFWとの違いに戸惑っている子もいましたがよくポイントをつかんでいたようです。
事前学習でやったことが実感として
 

子供たちの体験や学習をお手伝いすることは彼らの成長に触れやりがいがありあります。例年よりもその美しさは劣るものの大自然が織りなす紅葉の中でのこの体験を活かして生きる力を養ってほしいものです。
今年のプログラムにも改善する点もあります。それに生徒たちがフィールドの様々なものの中で何に興味を示めすかがわかりましたので彼らの後輩たちのために改良し続けたいと考えています。 
                  草野記

 

2016年10月24日月曜日

第11回全国草原サミット・シンポジウム(兵庫県新温泉町)参加報告


1015日~17日に兵庫県の新温泉町で開催された第11回全国草原サミット・シンポジウムに参加してきました。

15日は地元の草原、上山高原の現地見学会でした。上山高原も上ノ原と同じく一度は放置されていた草原で、広葉樹林やササ原になっていたところをすべて人力で切り倒し、今では37haの草原が再生されていました。花こそあまり見られなかったですが、一面にススキの穂が広がる光景はとてもきれいでした。また、丘の上に手作り感のある展望台が設置されており、そこから360度のパノラマが見渡せたのが印象的で、草原の魅力を引き出す施設だと思いました。


上山高原の展望台からの風景
 

16日はシンポジウムで、草原に関する基調講演や実践報告、保全や再生に向けての課題を議論する分科会、全体会などが行われました。印象的だったのは芸北茅プロジェクトの実践報告で、芸北中学校の生徒が学校や地域での教育活動を通して茅などの地域資源の利用を体験し、地域の経済活動に参加し、さらにそれを広めていくための仕組みづくりや広報活動に関わっているということを、生徒たちが自ら発表していて、会場の注目を集めていました。

午後に行われた分科会では、「地域の草原を維持する仕組みづくり」をテーマにした第2分科会で、地元で活動されている4団体の話題提供のあと、コメンテーターとして森林塾青水の活動の概要や担い手の確保について考えていることなどを少し話してきました。各団体それぞれの課題があり、共通解を見出すのは難しい話題ですが、意外だったのは、当日の議論の中ではおおむねどの団体も都市部(遠距離)からの参加は比較的あるけれど地元の参加を得ることに苦労しているということでした。そのあとの全体会では、他の3つの分科会(ジオパーク活動と教育と草原、草資源の農業・畜産への利用方法について、かやぶき文化の継承のための茅場の保全・再生)の結果と合わせて、議論のとりまとめが行われました。
17日は草原に関わる自治体の首長が集まる草原サミットが行われ、前日のシンポジウムの結果を踏まえて、上山高原宣言が合意されました。この中には、草原再生に向けた取り組みの支援や教育、文化、観光、産業振興等への自然資源の利用といったことのほか、草原の大切さのアピールのために全国草原100選を選定していくこと、そして、全国の草原を有する自治体が情報を共有し、新たな保全対策に向けて連携して行動していくために「全国草原自治体ネットワーク」を設立することが盛り込まれています。
全国草原サミット・シンポジウムで共有した情報や草原に関わる方々とのつながりを、上ノ原の草原、さらには全国の草原の保全、再生の取り組みに活かしていきたいですね。



全国草原サミット
 
                                          西村記
 
 

2016年10月2日日曜日

第3回車座講座 「藤原の動物と猟」


 森林塾青水では昨年から活動のあと、車座講座として、藤原の自然や暮らしに詳しい地元の方や草原・自然・植物に専門的な知識を持った会員からお話を聞く機会を設けております。昨年は6回、今年も2回実施しましたが皆さんに好評でした。

今年の第3回は、9月24日、「木馬道再生」作業の後、長年、藤原で猟に携わってこられた中島續さんにお願いしました。
 
 中島さんは、須田貝集落にお住まい、昭和19年生まれで、御年72歳、藤原では若手になるのでしょうが青年のころから猟をやっておられて動物の習性などにお詳しい方です。また、現在は畑で野菜など作っておられ續さんの野菜はおいしいと評判です。

この夜の宿は、民宿「並木山荘」。奇しくも中島さんはこの宿の先代である故吉野秀市さんの一番弟子とのこと、微笑む親方の写真の下での車座講座は藤原の猟師2代に渡る貴重な話が聞けました。
 
親方が過ごした部屋で「親方は厳しかったがいろいろなことを教わった」
 
 
 
 
 
いつものように草野がインタビュー形式でお聞きしました。
 
主な内容は 

1.中島さんのこれまでの経歴。

2.猟のことについて。
  ・猟に携われたきっかけ。 お師匠さんのこと。
  ・藤原の猟のやり方
   獲物、季節、猟をする地域、猟のやり方(鉄砲、罠、仲間の数、猟犬、野宿などの   
   行程、捕り方、解体・運び出しの方法
  ・とった獲物の処分方法
  ・1猟期の獲物と収益  これまで捕った動物の数は
  ・猟に出かけるときのおまじないや猟で特に気を付けたこと
 
 3.藤原の動物について
  ・藤原にはどんな動物がいるのか
  ・藤原の動物で増えているもの、減っているもの
  ・動物達にどんな思いをお持ちか
  ・最近は里に出てくるクマなどの話題が絶えないが何が変わったのか。
  ・熊に出会った場合どうすればいいのか

 4.須田貝集落について

詳細は、例によって伊賀さんが「聞き書き小冊子」にまとめていただきますが
 穴熊を撃つ方法、藤原のイノシシは「イノブタ」であるらしいこと、シカも本来の二ホンシカではない、子連れの熊には近づくな、新潟の猟師のことなどが印象に残っています。
 人柄から醸し出る人懐っこさ、藤原弁でひょうひょうと話される中島さん、動物の気持ちがわかるような気がする魅力的な人でした。

人なっこい魅力的な中島さん



                                            草野記


 







2016年9月27日火曜日

約40年ぶりに木馬が走った!ミズナラ林に歓喜の声響く。


 森林塾青水が活動する上ノ原のミズナラ林には、木馬道(きんまみち)と呼ばれる林内の散策路があります。薪炭林として使われていた昭和の高度経済成長期前まで、この道を使って、実際に木馬(きんま)で木材を運んでいたから、そんな名前が付いているのです。
 
 木馬道で材を運ぶには、まず緩い傾斜の坂道に等間隔で盤木(ばんぎ)という木を敷きます。鉄道の線路に枕木だけが並んでいる様子を思い浮かべると、近いイメージでしょう。その上を走るのが、木製のそりである木馬です。ここに丸太を載せて、下り坂を自重で滑り下ろして運ぶわけです。もちろん前に立つ引き手が、状況次第で棒で舵取りをしたりブレーキをかける必要がありますし、木馬が滑りやすいように盤木には菜種油を塗りながら進むなどの工夫もこらされていました。木馬は、山の多い日本で発達した独自の運材方法として、各地に広がっていたようですが、トラック輸送などと交代する形で姿を消していきました。
 
 9月24日(土)~25日(日)の定例活動「ミズナラ林の若返り伐採・木馬道再生」では、その木馬による運材を、みなかみ町藤原地区の古老の一人、阿部惣一郎さんの指導の下に再現することができました。もちろん、そんなことがすぐに実現できるとは、青水の誰もが思っていませんでした。直前の20日に開かれた幹事会でも、「木馬道の再生目標は10m」と話し合い、「将来は木馬を作って走らせたい」という願望が意見として出ていただけだったのです。
 
 ところが24日に上ノ原へ行くと、惣一郎さんはかつて自分が使っていた木馬を修理復元して、待っていてくれました。荷物として丸太を載せる時は、木口同士をかすがいで留め、全体をワイヤーロープで縛って、木馬に固定します。説明用に、そんな見本も用意されているという熱のこもりようでした。かっては木馬に、人の背丈ほども丸太を積み上げたそうですから、ほぼ1m(昔は3~4石は載せた(惣一郎さん談):重さで700~800kg)の材を一度に運んだようです。それだけ大量の材を載せるのは無理にしても、この木馬を見て「再生させた木馬道に、この木馬を走らせよう」という思いが、参加者15人の心に湧き起こってきました。



復元された木馬と運ぶ丸太の見本。後ろには炭焼き窯がある
業としてまず手掛けたのは、周囲のミズナラの木を伐採して玉切りし、長さ約1.2mの盤木を用意することと、それを敷く道を、唐鍬などを使って平らにならすことでした。そして、玉切りした丸太を樹皮付きのまま少し地面に埋め込み、周囲を踏み固めて、木馬道を少しずつ延ばしていきました。この時、惣一郎さんは「丸太の元(もと、根元に近い方)を道の谷側にして置くのが基本だ」と、何度も繰り返して話されました。丸太の元は、末(うら、梢に近い方)よりも数cm太いものです。もしも木馬が尻を振るように滑っても、盤木の谷側が少し高くなっていることで、木馬が木馬道から逸脱して谷に落ちるのを防ぐ効果が期待できるというわけです。

木馬道に再生のための地ならし


盤木の敷き方を説明する阿部惣一郎さん
  この日の空は雲が垂れ込め、上ノ原も霧に覆われていて、いつ雨が降り出すかと少し心配でした。しかし、おかげで暑すぎることもなく作業は比較的順調に進み、午後からの2時間余りで、目標を上回る約20mの木馬道の再生を果たし、雨の強まる前に作業を終えることができました。
 
 25日は、参加者が5人減って10人になりました。それでも、天候が回復して晴れ間ののぞく空の下、太すぎた一部の盤木を割って敷き直しつつ、さらに木馬道を延長させる作業を朝の9時から2時間余り続けました。2日目となって、だいぶ要領もつかめてきたためか、再生した木馬道はなんと約50mに達しました。


出来上がった木馬道50m
  すでに、修復復元された木馬は、朝一番で木馬道の最上部に運び上げてありました。そこに伐ったミズナラの丸太を載せ、前日に教わったようにかすがいやワイヤーロープを使って、荷崩れしないように縛りました。
 
 さあ、初めての試走です。引き手に選ばれたのは、一番の力持ちである北山郁人塾頭です。草野洋塾長をはじめとする他の参加者は押し手として、周りを取り囲みます。みんなが満身の力をかけた木馬は、下り坂をゆっくりと滑り出しました。「動く。動く」。ミズナラ林の中に参加者の歓喜の声がこだましました。木馬は、人が歩くよりも速いくらいの速度で、約40mの木馬道を無事に滑り降り一同からおもわず拍手が出ました。予想以上の出来栄えです。熱心に指導してくださった惣一郎さんが、「約40年ぶりに木馬が動いた」と笑顔で話してくれたのが、私たち参加者には最高の贈り物でした。


再生された木馬道を滑る木馬。歓喜の声が林内に響いた
 このミズナラ林の入り口には、森林塾青水と協力関係にあるNPO法人奥利根水源ネットワークが整備した炭焼き窯があります。木馬道をそこまで再生させれば、将来には炭焼き用の材の運搬に使えるかもしれません。この日、「数年かけて、あそこまで延ばしていこう」(草野塾長)という新しい目標が生まれました。


滑走を終えて鎮座する木馬と集合写真

                              米山記(写真、米山・清水・草野)